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飯と酒と時々GTD

収集したくてもできないテーマ、もしくは課題

私には、収集したくてもできないテーマというものがある。

それは、おぼろげで、言葉にすらならず、それゆえに、その掴もうとしている合間には収集することも、まかりならない。ただわかっているのは、そのあやふやなテーマがあるうちは、無意識にそれについてかんがえるようになっていて、いつかは自分なりの結論を作る、ということだ。

ポイントは、そのテーマなりなんなりは、意識的に設定するものではなく、無意識的に設定されるもの、ということだ。

いつの間にかテーマは決まっているが、それが何なのかは教えられない。むしろそのテーマを見つけることが、そのテーマの最初のネクストアクションでもある。

以前のテーマは「信頼」

以前につかまえることができたテーマは、「信頼」だった。

以前に関連した記事を書いたことがあるけれども、このテーマで私が私に対してはっきりさせたのは、

  • 「信頼できるシステム」から派生して「信頼する」とは具体的にはどういったことか
  • 「信頼できるシステム」の適用範囲は、世界や自分にもあてはめることができる

という2点である。

もともと、GTDで言うところの「信頼できるシステム」の要件がいまだわからず、そもそもどういった機能があるものを、信頼できるシステムとして捉えているのか、というのが焦点だった。

そこから派生して、何かの折に、信頼できるシステム、という概念は、自分を取り巻く実際の世界についても、当てはめられることができるなぁ、ということに気付いた。

しかし、自分が認識している世界と実際の世界は微妙に異なる。それは、真実と事実が異なるように、自分が認識している世界は、一方向からしか見た世界でしかない。実際の世界のすべてを含むことはない。

とすると、自分が認識している世界も、実際の世界とは別に、単体として、信頼できるシステムが当てはめられるなと思った。

ついでに、自分への認識についても同じく、信頼できるシステムが当てはめられるのでは?? といったとこまでに派生して、最終的に落ち着いた内容が~~という記事になったのである。

そして合点がいくのである。GTDという理論が、どうして自信を形成するのに大いに役立つワケが。

そして変化する。自分が自分自身を露の程にも信頼していないことを知り、そして知ったが故に自分自身へ却って信頼し始めるようになった。

そういったテーマがあることは知っているが、なぜそれを自分自身は重要と思うかはわからない

私に、そういう無意識的なテーマが、心の中で流れていることは理解しているし、またそのテーマが重要だとみなしている。しかし、どうして重要だとみなしているのかはわからない。

正直、無意識が与えたテーマを見つけるのに、意識が行うことと言えば、自分の目の前にやってくるものの共通点を見つけることだ。そしてその共通で見つけたことこそを、自分のテーマだと認識する。極めて偶発的で、運命というにはおざなりで、偶然というには共通項目が多すぎる。

それでも自分にとって大切だと認識する様は、私をいつも不思議な気分にさせる。