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GTDメインのタスク管理と生息してますログを記載しています。

私が私を信頼できるシステムにまでに認めるに至る拡張過程

GTDをしていると、思いもよらない結果を見出す。私自身に対して「信頼できるシステム」が適用されると知ったのもそうだ。

振り返ってみると、私は徐々に信頼できる範囲を広げてきたと思い当たった。

 

信頼できるとは?

ところで、信頼できるシステムとは一体どういうものを指し示すのだろう? 現状の私のまとめとしては、信頼できるシステムには、具体的には以下のような行動ができるものを指し示す。

  1. 承認する : それに対して認め、受け入れていること
  2. 権限を委譲する : 権限を分離すること
  3. リスクを取る : それが原因によって、ふりかかる結果を受け入れること

 

承認する : それに対して認め、受け入れていること

まずは受け入れていること。これは感情の状態だけに表されるものなので、自分がそれを受け入れているかどうか、というのは判断しにくい。

受け入れているつもりだ、と自分自身ではそう思っていても、実際は異なる場合が多々ある。

 

権限を委譲する : 権限を分離すること

 

受け入れたら、今度は権限を委譲する。自分がやってた作業のうち、例えば1から10をそれに渡したら、途中の7でやっぱり自分がする、といったようなことをしない。

これは、人間関係の中で、信頼されてないと思う顕著な例だ。ここまでしろ、と言われたのに、それを途中で取り上げられると「自分は信頼されてないんだ」と思う。相手が好意的であれ、義務的であれ、避難的であれ。

 

リスクを取る : それが原因によって、ふりかかる結果を受け入れること

 

権限を委譲し、委譲先が権限を行使した結果、何か問題があってもそれをのむこと。そしてその問題の復帰の対処方法をある程度考えられること。

 

例えばここに古いコピー機がある。時たま調子が悪くなることがあるが、それ以外は十分機能している。調子が悪くなったら、バンバンと叩けば治ることを知っているのでそのまま使っている。

上記の例のうち、「時たま調子が悪くなる」というのがリスクを取っていると私は認識している。

人であれ道具であれシステムであれ、うまくいく時とうまくいかない時がある。うまくいかない時をどれだけ容認できるかが、信頼できるシステムの度量となる。

 

 

()本音と建前があること

死んでしまった人のことを、その人はお星様になったのだと言うのに納得できるようになった。

本音を言わないのが、まるで自分を偽っているように見えて、さめざめと嘆いたのは何故なんだろう。

物事には見え方はいろいろあるのだと、あるいは物事には複数の意味合いが含まれることを知り始めたのはこれが最初だった。

知ったのは小学校。納得したのは不明。

()利己的な考え方

私がそうするのがいいに違いと思ってするのだ、その言葉は、誰かが言ったわけではなく、私が言っている。

鼻持ちならない利己的然たる子供の頃がある。次に、その反動なのか、やたら正しい考え、正しいことをやろうとする時期が迎える。実際その通りには動くことはできず、今度は利己的な自分を見つけるに当たる。

そう、正しいと思っていたことすら利己的な考えの一つにすぎないのだと。

利己的であることを認めるとは、すなわち、原因が自分にあることを肯定し、言葉に行動に、責任を持つ最初。

()他人と異なる自分

Evernoteが全盛期のさなかに使えなくなってしまう自分に、そろそろまぁいいか、と思えるようになってきた。

他人と異なる自分を受け入れるのは富に難しい。これは繰り返し試練がやってきては、繰り返しそれを越えていく。そういう積み重ねだ。

()過去にしてきた自分の実績

()制御できない無意識

()ある時間において相反する考え方

()時系列をつなげての実績

()未来に対する自分の処理能力

 

初出:

  • 2010/08/17