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GTDメインのタスク管理と生息してますログを記載しています。

【日記】2015年所感(羅列編)

特にテーマというわけではないのだけれど、年末に向けての雑記。

日記は精神的健康のバロメータ

 

今年もいろいろあったけど、ブログ界隈で言うなら、ブログをかけるということは自分にとっては大きな意味合いがあるということを知った年であった。

1年だったか2年だったか、だいぶブログをつけなくなって久しぶりに買いたら、ツイッターで反応をもらってうれしかった!

私は中学生のころから日記みたいなものは書きはしていて、年によって品を替えたり頻度を変えたりしつつもそこそこに書き連ねてきた。それをほとんど見直すことというのはないのだが、それでも何かを思考するという点においては非常に役立ったものである。

それがここ数年途絶えていた。手書きのノートですら書き連ねることもなく、会社でのメモを取る程度でまったくもって、頭の考える回路というのがとまっていたのである。頭の思考を止まらせる原因はいくつか思い起こすことはある。ひとつは仕事関連で鬱っぽくなったことと、もうひとつは病気の事後経過による薬の摂取。

鬱っぽくなると、動物すら見つけられなくなる

私は動くものを見つけるのが得意というか目がいってしまうたちで、とにかく犬とか猫とかをよく路面でもよく見かける。友人と一緒に歩いて見つけると告げるのだが「よく見つけるね」と言われた。

しかし、このうつっぽい症状の近い状態だった最終段階はひどいもので、友人の方が先に見つけてしまうのだった。それがあって、友人自体もこれは大変だ、と気づいたものでもあるのだが。

うつっぽい状態に近づくにつれての思考のパターンについて

あの頃の状況と言えば、思考の統合性が外れていくような感触だと思う。例えば通常の思考だと、a,b,c,dがあるのなら、各それぞれにつながり(具体的には、a-b,b-c,c-d,d-a,a-c,a-d,b-d,c-a)がある状態。しかし、うつ状態に近づくと、それらのつながりが断続してしまい、例えばa-b,c-dだけといったような、有機的なつながりがなくなってしまい、一部は動くが、連動はしない、というような状態になる。

これの何がいけないのかというと、今日記を書いているような状態というのは、a-d-b-c、というようなつらなりの連鎖状態みたいな動き方をするもので、うつ状態に近づくにつれてこれができなくなる。

薬の副作用

しかし、うつっぽい状態から脱却した半年後ぐらいに、手術をして、その後経過観察として薬を処方してもらった。これがまた物理的な効果はそこまではないものの、精神的な効果が実は大きかった。

精神的な抑うつがあるらしく、服用していた頃の私は、具体的に言えば新しいことをしようと考えない状態だったと言う。確かに、服用時期というのはあんまりやる気には満ち満ちていなかった。そうでなくとも冬は寒暖差アレルギーで半年ぐらいは薬漬けなのがますます薬漬けで、「いつまで続けるんですか?」という質問の先生の回答が「うーんしばらくは続けないと再発がねぇ。一年はね」と言われた時にはショックだった。

1年半ほど投薬は続けて経過はそこそこ順調だったので、一旦止めることになったのが今年8月のこと。その後日記をつけるようになったので、あの薬の副作用は私にはあんまりよかったものではないかなぁと思う。薬の投薬で再発防止ができたのは勿論よかったけどね。

ベリーダンスをはじめる

今年のイベントというと、ベリーダンスを始めたのも大きかった。その前の年に3ヶ月ほどためしに行ったことはあったんだけど、その後はコースがなくて頓挫していた。けれども、体力づくりも含めて何か運動しようよ!キャンペーンが家の中で勃発していて、何か長期的に運動できるもの、と考えた結果、踊りでベリーダンスをすることになった。

とはいえ、ベリーダンスって私とは究極的に相反する女子ー!みたいな世界で、おまけにレッスン系のどろどろは正直ピアノでうんざりしていた。尚且つ、youtubeで見かけるにベリーダンスの服装はすきなのは多いけど、日本でレッスンもってそうな人で尚且つ好みの、というとなかなか見つけられなくて、どこに行こうかうだうだしていた。

でもしばらく探しているうちに、この先生なら!ていう人が見つかって、行ける範囲でレッスンもやってるそうだからって、珍しく行くことにしたんである。

12月までちゃんと続けて、年末にはガーラといって踊りの会みたいなのにもちゃんと参加した。いつもとはまったく異なる世界だったとだけ言っておこう。

ウクレレもはじめる

そいえば、ウクレレも始めた。

友人宅に遊びに行こうとしたら、その自宅で場所を貸してウクレレのレッスンをやっているらしく、ひさびさ何か楽器にも触りたいなと思いあたって参加することにした。月一回だったし。

月一回のにわかウクレレ奏者になって、ドレミと場所の羅列が揃うようになった最近である。毎日30分はやんなきゃ!て思うんだけど、家は楽器禁止の上、階下の人がベースを弾いてる疑惑があったりとか、隣の人が太鼓叩いてんじゃないか疑惑とかで、クレームを入れていたのが私なので、家では勿論やらないことにした。

Doit.imを買ったりiPhone6s買ったり

デジタルやGTDの方ではDoit.imをやって、iPhone6sを買ったのが大きな変化だった。iPhone6sの方が使えるので最近ではiPad miniをもちあるかなくなってしまった。

GTD関連の記事は、やはりといったところで、よく見られている。でも自分の中では特に新しいものがあるわけでもなく、ハムスターのごとくぐるぐる回ってる感がなきにしもあらずであるが、まぁそれはそれでよいかなとも思う。ところ変われば適用に苦しくなるし。

 

とまぁ、思い当たることをつらつらとかいてきでちょっと羅列気味すぎなので、総括はまた今度に記載する。多分。

【雑談】スター・ウォーズ柄のネクタイをしたオジサマは見せつけたかったのだろうか、というソボクな疑問

via スター・ウォーズ/フォースの覚醒

今日電車に乗ってたら、オジサマがネクタイしめてたんだけど、明るい紫でよくよく見たらなんだかスターウォーズ柄だった。モチーフがカラフルにパラパラと装飾してあるタイプ。なんだー今日は初日だもんな、初日に合わせてネクタイしめたんだー!とか一人でほわほわしていた。

が、会社でどんなネクタイだったか思い出そうと検索したらない。ない! あんな明るい柄で、しかもモチーフもフルカラー。よくよく見なくても結構目立つのに画像検索にひっかからない。

しかし人気の作品だから、昔買ったネクタイで今は売ってないお気に入りを今日一張羅的にお披露目したのかもしれん!いやそうに違いない!!

と、思うことにして個人的平和を保つことにした。

そのネクタイは、見せつけたいのか見せつけたくないのか

この手のネクタイとかに時折見るアピール感が、私は好きだ。

ホントはスターウォーズ大好きなんだけど、でもそこまでアピールしたいわけじゃないんだよね、でもホント好きで、だったらいつも着るアイテムに紛れ込ませてもいいとか思っちゃったりもする、でもそこまでアピールしたいわけじゃないんだよね、別に知ってほしいわけじゃないのよ自分だけが知っていればいいわけで、でもホント好きで、「あれ、山田さん、それスターウォーズじゃないですか!」なんて言われたりしちゃったりしたらどうしよう、でもそこまでアピールしたいわけじゃないんだよね、(以下ループ)

みたいな雰囲気を醸し出しているのが特にネクタイの小さいアクセントになっているタイプのネクタイ。間近で見ないと実はR2D2だったりするのがわかんない、でも見た人にはわかっちゃう、ていう隠しキャラ的な要素が、そこはかとなく、見せつけたいんだけど見せつけたい、というなんとも微妙な気持ちを体現しているのが私は好きなんである。

実際そんな人が、このネクタイを買おうと思った時にどれくらいの葛藤と闘い購入し、そしてどれくらいの葛藤と闘い、毎日のネクタイに入れたのかと思うと一人でむはむはするわけである。

もちろんそんな葛藤なく、日常に組み合わせてネクタイを装着している人もいるだろう。

あのオジサマのネクタイは、見せつけたいのか見せつけたくないのか

そこで考えてみよう、今日見たオジサマのたぶんスターウォーズネクタイ。

ベースの色は淡い紫、結構控えめとはいえない明るさである。ポイントとなる柄は色々な柄で構成、なおかつ全てがカラフルモチーフとなっていた。

 

今考えたけど、あのネクタイ、ぜんぜん控えめじゃない。

 

とはいえ柄は小さめなので見る人は見るけど見ない人は見ないだろうネクタイなので、やっぱり見せつけたいかどうかは微妙なところである。

しかし、今日がスターウォーズ放映初日であることをかんがみると、オジサマなりの、最大限のアピールなのかなぁと勝手に憶測しては一人ほくそ笑むのであった。

実際のところはどうなんだろう、でも知らないからこそ面白い

実際のところどうなんだろうということは、もちろん思う。でも知らないからこそ、こういう風に思ってんじゃなかろうかなぁと考える余白があって楽しいんである。

 

これ以外にもいくつか私のソボクな疑問はいくつかある。

  • スキンヘッドな人は冬は寒くないのか問題
  • 日本でタンス等のかどっちょに足の小指を当てて悶絶した外国人はいるのだろうか問題

私、髪の毛多いので冬に頭が寒いと思ったことがないんだけど、最近髪質が変わったら、冬は頭が寒くなることを知った。そもそも髪の毛は頭を防護するためのものなはずなわけで、それがないスキンヘッドな人は寒くないのかちょと疑問に思ったのが一つ目。

もうひとつの後者の方は、これはつねづねつねづね気になっていること。オジサマのネクタイの件は明らかにしなくてもいいけど、こっちは明らかにしたい案件である。

外国の方では履物を履いて生活するのが普通だろうから、おそらく小指を当てるとかっていったことはないんだろうと思う。でも日本じゃ屋内じゃはかないから、じゃあ小指を当てることもあるんじゃないかと思ってるんだけど、実際そんな人はいるのか、そしてその時どう思ったのか具体的には悶絶したのだろうか、と、ソボクな疑問が頭の中にこびりついている。回りに外国人の知り合いがいたら、ぜひ聞いてほしい。そして、悶絶するのは日本人だけじゃないことを知りたい!

 

【食べ物】買いたい煩悩が止まらない!(同居人の) クリスマスシュトレンの陣!!

クリスマスと言えばプレゼントもさることながら、同居人と暮らす我が家ではシュトレンとパネトーネが目下の注目になる。

シュトレンとパネトーネは、クリスマス時期に食べる外国のお菓子である。シュトレンは小麦粉に干し果物をまぜまぜして焼きしめ、最後にバターと砂糖でまぶすというちょっと固めのドイツのお菓子。パネトーネは同じく小麦粉に干し果物をまぜまぜしてふんわり焼いて食べるやわらかめのイタリアのお菓子。アドベントカレンダーと合わせてちみちみ食べつつ、クリスマスを迎えるおつなお菓子である。

のだが、それは各本国での話であって、我が家ではどこそこのパネトーネがおいしいとか(同居人が)、どこそこのシュトレンがおいしいとか(同居人が)、アドベントカレンダー消費中にフィーバーすることになる。

去年は、クリスマスパネトーネの陣

去年はパネトーネに躍起になっていろいろ買っていた同居人。

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去年は三つも買ってたんだっけ(同居人が)。

去年はカルディで扱っているパネトーネがうまいらしいとどこからか情報を仕入れてきては買ってきた。それ以外にもなんかどでかいパネトーネとかも買ってていつの間にか気づいたら家にはパネトーネが3つもあったという。

その頃、丁度ケーブルテレビで「いたずらなキス」のアニメの全話放送があって、いたキス祭りと称して全話見るというイベントを実施してて、それに参加していた友人にしこたまおすそ分けをしていた。ちなみにいたキス祭りは、なんというか、入江君の成長譚みたいな感じになってた。

今年のパネトーネは自前で

今年は、どうやら去年で満足したらしいのか、パン作りも再開したこともあって、パネトーネは自前で準備することとなった(同居人が)。この週末パネトーネ焼いてた。すばらしい出来。

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切るとこんな感じ。

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上の図だとまだ白いまんまだけど、これがちょっとほうっておくと、干し果物達がいい仕事をしてくれて、ふんわり匂いつつ、生地にしみこんできておいしくなる。

今年はシュトレンの陣。。

じゃ、今年はシュトレンも自前かー、と思ったらそうでもなかった! 今年はシュトレンフィーバーの年の模様。。

伊勢丹やら百貨店のシュトレンのチラシを見ては、あそこがいい、この店気になるとあーだこーだといろいろ悩んで、一個選んで予約購入していた(同居人が)。

「も一個買いたい!」

でもほかにもどうせ買いたくなるからやめといた方がいいよ、といってなだめて1個で押しとどめた私、偉い!

 

「オーボンビュータンのシュトーレンの予約終わってた!(><)」

と思ったら早速別のを買う算段がついてたんかい!

オーボンビュータンは東京の尾山台にある有名なお菓子やさんで、いろいろお菓子のある中キッシュが激ウマでおススメである。そんなオーボンビュータンもクリスマス用にいくつか出してて、高島屋で予約受付してたらとっとと予約数に満たしていたんだそうだ。

http://aubonvieuxtemps.jp

 

個人的には予約できなくてほっとした。

だってさ!シュトーレンて一個のカロリー大変なんだよ!!100グラムで350キロカロリーとか半端なくって、だからシュトーレンはクリスマス前にちみちみ食べれば毎日50キロカロリーで済むとかそんな話もしている。

けれどもそれは、シュトーレンが一個の場合だ。

繰り返す。

シュトーレンが一個の場合である。

これでシュトーレン買いが終わりますように、と心の中で念じていた。

大穴、カフェ中野屋

その後は特に不穏な空気もなく、これでシュトーレン祭りもおちついたかなーと思っていた矢先、同居人からはたまた危険なメッセージがやってきた。

「今週末町田に行くよ!」

ちょっと待って!

なんでいまさら町田浮上なの、どこに行くというのよ町田に!

「カフェ中野屋だよ!!」

 

運の悪いことに、同居人は、カフェ中野屋のシュトーレンがまだこれから販売するというのをどこからか仕入れてきてしまったのだ。。終わってなかったのかシュトーレンフィーバー。。

http://tabelog.com/tokyo/A1327/A132701/13022620/

カフェ中野屋は、老舗の和菓子屋が始めた饂飩とパフェのお店。アーティスティックな盛り付けのパフェが有名で連日待つのが必至である。どうして饂飩でどうしてパフェなのかは、いまだ謎の組み合わせであるがそこは素通りしておこう。それはさておき、そんなカフェ中野屋もこの時期シュトーレンを出している。通常のシュトーレン3種類に加え、スペシャリテといって特別品が今年はなんと!3種類も作ったらしい。毎年1種類だというのに、よりによって何故今年だけ3種類も作ったというのだ。いやなフラグである。

そもそも今までノータッチだったカフェ中野屋が浮上してきたのは、フォションのシュトーレンを見たことから伏線が始まっていた。今年のフォションのシュトーレンは、ピンクと毒々しいことこの上ないシュトーレンであった。へええ、ベリーなシュトーレンなんだー、珍しいね! と同居人と話していたんだが話はそこで終わらなかった。

「違うよアレ、カフェ中野屋の2年前に出してたのと同じやつだよ」

……なんで知ってんの。

そこからだ、同居人がカフェ中野屋のシュトーレンを調べてきたのは。今年3つもスペシャリテがあるのは、もともといちじくを半干しするお店が日本にひとつしかなくて、そこで仕入れた半生干しいちじくでスペシャリテを作ったんだった。が、値段が一粒900円ぐらいする代物で、シュトレン一個ででかでかしい値段になる。

ついでに言えばこのイチジクも希少であるので、それで途中の経過であまってしまったワインがもったいなく2つ目のスペシャリテ作成。これまたいちじくを使ったので値段も同じくいってしまった。

でもさすがにお値段高いとお客さん厳しいよね、普通のねだんのスペシャリテ作ろうよ、といって作ったのが3本目。

しかし実際フタをあけてみると、以下の通り。

 

店の人「みなさん、高い方から買っていかれるんです。。 一番売れているのは一番高いやつです」

同居人「私も一番高いやつから買うわ」

店の人「僕もです」

 

……。

えー、さて。

結局、同居人が調べてくるものにおいしくないものはないので、ついつい釣られて町田に行ってしまった週末。開店30分程前に行って並んで買うという用意周到さである。というのも、同居人がお店の人に確認したところ、こんなやり取りがあったそうだ。

同居人「いつもだとどれぐらいでシュトーレンってなくなっちゃいますか?」

店の人「そうですねー、午前中ぐらいはあると思いますよ、いつもですと、開店から30分ぐらいまでは」

同居人「30分?!」

店の人「30分」

注意。午前中といってもここんち、開店が11時なので、午前中に相当するのは1時間しかそもそもない。そんな話を聞きつけていたので、念には念をといって開店前から並ぶ羽目になったわけである。

今回のカフェ中野屋は、通常版3種、スペシャリテ3種の合計6種あるところ、「今回はがんばって2種類にする!」と同居人がのたまっていましたが、結局3つ買ってました。

最初の決意はどこへ行った。

 

現在の家にあるシュトレン

で、同居人のいろいろな煩悩と葛藤のすったもんだの末、家にあるシュトレンは4つ。

 

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ちなみに我が家の食費人力は約1.5人力程度。

私一個も出資してないからとやかく言いません。おこぼれに預かるのでとやかく言えませんとも。でもね、これだけカロリーの塊があるとなると若干憂鬱になるのもわかってほしい。

今回このことを記事にするつもりはなかったのだが、同居人の下記のセリフを聞いて、これはブログに書かねばなるまい、と思い至った気持ちを少しでもわかっていただければ幸いである。

「カフェ中野屋、まだシュトーレン残ってるって!!」

シュトーレンの陣はまだ終わってないらしい。

【展示】春画展で人にもまれてきた

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レビューがいろいろ試される春画展に参ってきた。

春画展、2013年から2014年にかけて遥かは英国で行っていたものを凱旋展示するとのことだそうだ。春画といえば、この前見た暁斎展でも春画を扱っていた。今回は、対象時期は江戸時代以前のものなので、暁斎君は今回は対象外で出てこない模様。この前出たところだしな。

そもそも春画とは、エジプトの頃から始まり多国にまたがって描かれたそうだ。日本は平安時代の頃だか中国からの伝来品で伝達され、見事に定着した。戦ではお守りがわりだったり、お祝い品だったりした春画はとりあえずよく流行った模様である。

タコ

今回の春画展でのメインの展示物は葛飾北斎の「喜能会之故真通」。何がすごいかというと、タコとやっちゃってる図解である。タコかぁ、タコだよ、しかも二匹…! 無駄に目が妙に光り輝いているように見えたり、構図もみっしりしっかりしている展がさすが北斎である。

しかもこのタコ、前からつねづね狙っていたと書かれていて、その執念さも何か旋律を覚えずにはいられない。

 

北斎と並び、喜多川歌麿春画を出している。この二大巨頭の図はさすがで、ほかの春画と比べると極端に見やすくうまかった。個人的には喜多川歌麿の方が、私は好きである。北斎の方は絵に文章を追加したりしたが、喜多川歌麿は更に面白いことをやってみようとかそんな感じを受けた気がするので。紙を足していまでいうしかけ絵本みたいなこともしてたのが、喜多川だった。はず。

描くのが好きな人とそうでない人

春画を描く人はいろいろいるが、春画自体を描くのがすきな人とそうでない人でかなり絵のテンションが変わってくる。というのは、鳥獣戯画展でも思ったことだ。絵描きの嗜みのひとつ、食い扶持のひとつとしてとりあえず描く、あるいは依頼されて描かねばならぬといって、むしろその背景ばかりに力が入っている人もいた。

背景も人もがんばってるよー!という場合もあって、全体的に雅で麗しいものもあったりする。

展示会中実用的かそうでないかと談義にふける殿方もいたが、実際もって実用的でない。特に江戸時代は面白く見るためのもの、という方向性だったので、どちらかとあけっぴろげな感じは受ける。ただし、月岡雪鼎は違う。彼の絵柄というか肌の色はもう桃肌もよいところで、一番現代の作風でもありそうなタイプの絵柄であった。きっとこの作者の絵なら殿方の期待に応えられるであろう。

衝撃の展示物ベスト(?)3

そんないろいろ見た中で結構衝撃を受けたベスト(?)3を紹介する。

3位 エイ ~何でもいいのか~

相手がエイである。タコというのもなかなかだが、エイに気持ちを抱くのもなかなかのものである。エイはまさかそんなと思っているかもしれないが、海で泳いでいるあのエイである。

実際見たことがあるのかそれとも実地なのかは深い謎の海である。

2位 涅槃図 ~そういう神社はあるが~

釈迦が入滅する際にみんなが嘆いて回りを囲んで悲しむ仏涅槃図というのがある。それを別物に見立てて描いた図である。いわゆるパロディだが、昔っからこういうの考えるもんなのねというところに驚きである。そしてまた無駄に拘って仔細細やかに絵がかれているところが更に驚きである。芸が細かい。。

1位 影!~心の眼で見てください~

チラリズムもいいところである。

影絵みたくに人を全部影というか白黒でうっすら描いている図である。見えるか見えないかがいい!というのはわかるが、この絵はそういう問題ですらない。シルエットだけ描いて、後はがんばれである。ファイ!

1位は描画の手法自体がいろいろ次元が違う人が描いたとしか思えないということで衝撃を受けた。ほかはほら、相手変えたり、ディテールにこだわったり、ある意味順当な今でも多様性だ。その中でこれだけどうも方向性が明後日すぎるのがすごかったのである。

余談~みゃうみゃう

葛飾北斎の偉業のせいなのか、春画は江戸時代から絵柄に文字を入れてその場のセリフをつけたりするようになる。その絵の中で猫のセリフもあったりした。寝ていたところを男女二人がイチャコラし始めてボヤく猫、その最後に鳴き声があった。「みゃうみゃう」って。

昔の人が、動物をどういう風に鳴き声を表現したのかって具体的に見たことがなかったので、この「みゃうみゃう」はとても新鮮だった。

 

 

この春画展、とても人気で私たちがいったときも午後からは入場制限をかけられていた。入場制限の前から中はごった返しで、最初の展示室を見るのには牛歩さながらであった。昔の人もこんな感じのおしあいへしあいな気持ちだったのかなぁと思ったり思わなかったり。

やっぱりコンテンツとしてエロは強いし、なんというか、理由なく行ってみたいって思うんだよね。

ちなみにこれは今回の展示向けの春画展図録。背表紙は敢えてなくしてあり、ひろげてみやすい仕様となっているが、この分厚さ!

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春画展は12月23日まで月曜日休館、JR目白駅からバス、東京メトロ有楽町線江戸川橋駅」より徒歩15分、東京メトロ副都心線雑司が谷駅」より徒歩20分の永青文庫にて開催されている。興味あるもの参加されたし。

http://www.eiseibunko.com/shunga/index.html

【雑談】なぜか師走は忙しい

[caption id="attachment_558" align="aligncenter" width="640"] Unsplash / Pixabay[/caption]

師走である。

うっかりしているうちに12月の1週目も過ぎ去り2週目に突入である。ふいーっとするだけでもう12月も終わりになるんだろうと思うとちょっと空恐ろしい。

しかしなぜにこうも忙しく感じるのか。

忘年会などのイベント

年末ということでとかく忘年会やら、レッスンやらのお稽古事の発表会みたいなものをこの月にあわしてくるのである。だからそんなにイベントの持ってない私ですら、イベントが数個重なる。しかも発表会となるとその準備やら気負いがあって、これらのイベントに関してあれこれ考えるのに毎日エネルギー量がとられる。

年末にはクリスマスもある。とくに友人なんかになると、今年はシュトーレンとパネトーネを作る予定だそうだから、材料の準備に更に時間がかかる。今回作るレシピはドライピアという干した洋ナシを使うらしくって、でもあんまり売ってなくて阿鼻叫喚している。昨日は昨日で「アーモンドプードルに匂いがうつったかもー!?」と悲鳴を上げていたところである。干しぶどうは干しぶどうでラム酒づけにしておく必要があるので、食べるのはちょちょいのちょいだが、作る手順は非常に非常に手間隙かかっている。

まぁ料理もそうだが、クリスマスに何をあげよかな、どういう飾りにしようかなどなど考えることがいろいろあるし、やんなきゃいけないこともいろいろある。

それとは別に年末年始の準備

というイベント群とは別に、年末年始の準備がある。

年末年始の準備は、掃除、おせちの準備、門松などの飾りの準備などなど。実家なんかでは、この時期だけお餅をつくのでその準備がこれまた結構かかる。もち米を1日か二日ほど水にひたして、もちもち機で餅をつく、そしてそこから丸めて整形する。関西は丸めて整形するのが普通で、これと年始用に鏡餅も作るんである。整形作業が終わったら、うちいくつかをそのまま砂糖醤油で食べるのがおいしいんだこれが。

とまあ餅だけでもこれだけかかるわけで、更に順当な準備をしようとなったら、お重に入ったおせち料理を準備しなきゃいけない。けれどもまたこれが品数が多いので1月1日に合わせて料理の準備となるのだけれどもやはり数日前ぐらいから作りこみ始めるのである。

年賀状も用意しなきゃ

そう、年賀状である。

年々年賀状を送るのを怠っているのだけどやはり送りたいし、年賀状を送ってもらった友人から「のみこさん送ったら年賀状すら帰ってこないから手紙なんて送るわけないでしょ」と言われたのを地味にこだわっていて、そうだよな、年賀状送れないのに手紙なんて送れないもんね、ということで今年は送る予定である。来年の2016年は猿!

実家の分担で言うならおせち料理は母の役目、年賀状は父の役目である。父は、この方30年来ぐらい、版画で送るように決めている。なんで11月から12月あたりにかけては、この年賀状作成作業が恒例となる。

  • 図柄を決める
  • 彫る
  • 刷る
  • 住所を印刷する

という手順を毎年やっている。刷るのはもちろん絵の具をつけての手作業である。こう見ると、父はマメであるな。ちなみに住所はさすがにパソコンからプリントしている。

掃除だってあるんだよ!

いつもはしないような場所だったりをするタイミングとして年末がある。これはもうどちらかといえば、きっかけづくりのような感じでもあるのだろう。例えばカーテンの洗濯なんて、どのタイミングでやったらいいのかと考えるとちょっと難しいもんね。

年末で終わらせたい自分のあれやこれやも

といった、イレギュラーな作業とは別に、自分の中でもこれはよい区切りだと思って、いつもはがんばらないのに、ちょっとやる気出してがんばっちゃってる自分がいたりなんだりする。実際今の私がそれで、ちょっとDoit.imの整理をしやすくなったりしているから驚きなもんである。

バーゲン!!!

いろいろバーゲンで安くなっているので買い物もしなきゃ!

こんだけそろえば忙しいはずである。

結論:全体的に活動エネルギーが高いので動きやすい

根本的に、イベントやら年末年始の準備やらで全体的に活動エネルギーが高まっている分、それに呷られて自分の中の活動エネルギーも高まりやすくなっているのだと思われる。自主的に動かなくても活動エネルギーが高まりやすい時期なので、いろいろはじめるのにはいいんだろうけど、やんなきゃいけないことだけで終わっちゃうね!

【GTD】Doit.imと仲良くなりたい

金曜日はなんでも振り返りデー。今日はタスク管理で使っているDoit.imとのお付き合いについて思い直す。

なんか、最近うまくいってないよね、僕たち(Doit.im and Me!)

http://doit.im/ja/

1年間プロアカウント登録したDoit.imだが、現在の関係はというとあまりうまくいってない。なぜいつもこうも私はタスク管理ツールと相性が悪いんだろうというか相性良かったツールがあったらここまでジプシーしてないよな、という現状に思い至ること毎回しきりである。

さてそんなDoit.imであるが、最近はiPhone6sに切り替え、その画面のサイズとパフォーマンスのよさによく使うようになった(前年度比)。これで起動する問題は解消できた。しかしである。その後うまく全部動いているかというと残念ながらそうではない。

なぜだろう。

 

というなぜを今回は見直していきたい。

すぐに破綻したプランとレビュー

すぐに破綻をきたし始めたのがプランとレビューである。Doit.imではプランのプロセスとレビューのプロセスがある。

プランは、今日やるタスクで見積もりを行い、これぐらいで作業ができますよー!というのを明確化してくれるすばらしい機能であった。実行するタスクがかなりクリアである、という条件付で。

プロセス自体が明瞭でない場合、このプランは途中から破綻する。特にタスク自体は、個人的に思うにその1日で完了できることを想定して定義することがあるため、いや、そこまで分断するほどじゃねーよ、ていうタスクだといつまでも延期されてて、終わった感ができない。だから、このプランという機能は、見積もったその日のタスクが今日で終わることを想定して作ったタスクでありさえすれば、非常に明快な機能であるのだが、実際そんなクリアなタスクが作れる場合があるかっつーとそうではない。

というわけで、早々に私はプランをまじめに使うのを諦めてしまった。

レビューは同じく、プランで今日やると決めたタスクについてどうだった?と心優しくきいてくれるプロセスである。これで、途中完了チェックを忘れていたタスクも今日中には完了できる。そしてその完了タスクは、別のビューでいつ完了したかを見せてくれるわけである。

しかしレビューの大前提は、上記で説明したプラン等で今日やるリストを見積もった場合においてであり、プランとレビューは二つでセットの機能といっても過言ではない。

プランがうまくいかなくなると、レビューもまぁそううまくはいかない。

それもこれもタスクの定義が1日で終わらなかったり、曖昧なせい

なぜこのプランとレビューがうまくいかないかと考えると、よーするに、タスクの定義がいまいちだという結論に至る。

タスクの完了条件がめいかくでなかったりすると、まだ終わってない(と思う)、まだ終わってない(と思う)という90%から完了になるまで無限ループを繰り返すことになる。うひー。

なら、クリアなタスクを定義しよう!という理想を掲げるが実際現場はそう毎回うまくいくわけでないのだよ。だから、クリアじゃないタスクとクリアなタスクが混在しつつも、タスク管理の中でどうやって折り合いをつけていくのかが問題になる。

そう、Doit.imが悪いんじゃない、私のタスクの設定が曖昧なせい!って私のせいか。

 

さ、さて、次に考えるべきは、曖昧なタスクをいかにクリアにしていくか、である。

タスクをクリアにするということはサブタスクが増えて、そしてプロジェクトに転化することである

そこでDoit.imの特筆すべき機能の「プロジェクト転化」が活きてくるわけだ。

「プロジェクト転化」とは、タスクをプロジェクトに転化する機能である。Doit.imにはタスクにサブタスクをつけることができる。それを、タスクはプロジェクトに、サブタスクはそのプロジェクトのタスクに変換することができる。

なーんだ、一日で終わらなかったタスクはこれでやればいいんじゃん!

これで曖昧なタスクもクリアにできるようになる。これにて一件落着!!

 

 

してないんだ、これが。

こうしたところで私はまだ納得いっていない。タスクをプロジェクト転化して作業完了になったところで「これこれこういう作業をやって、目的を達成しました!」という認識は生まれないからだ。

木を見て森を忘れるというか、終わった感がないんだよ。もしかすると、それを包括するのが本来は「目標」の方なんだろうかと思い始めている

そもそも最初からプロジェクトを作る行為は合っていないのかもしれない

今改めてDoit.imの利用方法について振り返っているが、どうにも私は、プロジェクトを目標として取り扱ってきたように感じている。それがなんだかおかしな感じにしているような気がしている。

プロジェクトは、ただ連続したタスクを実行しないと完了できないタスク群名なのだが、従来の世界での「プロジェクト」という名称の使われ方から、あたかも目標を達成するようなもののように思われているのではないかと思う。

上記を加味して、ちょっと使い方を見直していこう。

 

 

人が思うレベルと自分が想定しているレベルは思う以上にギャップがある場合も

[caption id="attachment_552" align="aligncenter" width="640"] Hillyne / Pixabay[/caption]

これぐらいはできるだろうと思って自分が想像するレベルは、時によっては大違いなことがある。今日はそんな話。

友人の想定する仲の良さを示す「きゃっきゃレベル」がハイレベルだった

友人が今の職場とあんまり仲が良くないといってしおれていた。といっても話を聞くだに十分仲がよさそうである。回りがきゃっきゃしてるのを自分は外から見てるだけのような気がする、という。じゃあ実際どんな風なのがいいの?と聞いたらこう帰ってきた。

「この前さ、ドラゴンボールの映画あったじゃん、最初にフリーザ様の周りで妖精がきゃっきゃ回ってんのね。あそこの一人のイメージ」

 

は?

 

という本音はさておき、友人の言わんとしていることは、要するに自分ひとりだけがテンションが異なっているような気がするのだという。しかしである、友人と隣に座る人と話していると、回りが笑いを禁じえないといったシーンもあるとも言う。そんなことをしでかしているのに、自分はきゃっきゃ妖精の一員じゃないとのたまい、「一体感がないんだよね」とのたまったのだ。

ここでひとつ思い当たる節があり、質問をした。

「まさかさ、想定しているきゃっきゃレベルって、祭りとかそのぐらいで仲良くしている感じとか思ってる?」

「うん!」

おいまて。そんな一蓮托生みたいなベクトルの揃ったグループの状態なんて、そうそうにない。だから皆イベントなりなんなりして、無理やりながらも一方方向に向いている期間を作り、あたかも一体感があると勘違いする場面を作ってるんじゃないか。

だいたい一体感がないってのは、会社ひいてはグループ運営でよくある課題のひとつであるのだから、どれだけ実現するのが難しいかは押してしるべしである。

要するに、友人のもとめるきゃっきゃレベルは相当レベルの高い一体感を併せ持つ状態を想定していた。これでは、どんなに仲がよくなったとしてもこのレベルに到達することはない、いつまでたっても仲良くできてないと友人は思うだろう。もっともである。

だいたいである、友人はとかくエネルギー量が大きく、友人が十分満足できる発熱量で応対できるレベルとなると、いつでも祭りが起きていないとたぶん無理である。それを加味すると、ますます友人の求めるきゃっきゃレベルはかなりのハイレベルな状況だとおわかりいただけるだろう。

友人の想像する仲の良さは、もしかするとこんなだったのかもしれないが、実際の仲の良さとは、冒頭の写真レベルぐらいじゃないかなーと思う。

skeeze / Pixabay

 

私が想定する「夢中になる」レベルも高かった(時期があった)

自分が想像するレベルが思った以上にハイレベルだった、というのは実は私も思い当たることがある。それは「夢中になる」ということであった。

最近私は「夢中になる」というのがなくて、友人がハッスルしているところをみてはうらやましいなと思っていた。ところがどうやら話しているうちに、実は私が想像していたレベルのハッスルさはかなりの度合いであったのだ。

そう、私が想定していたのは、はじめてNintendoDSを買おうとしていたドキドキである。

「あの時はさーすごいドキドキしてさ、1万4千円だったけど、自分にしては大物買いを自分でしてハッスルしてたんだけどね、あーゆーのが最近ないんだよね」

と言ったら友人にこう返された。

「ハッスルっつったって、その後ハッスルしすぎて倒れたんじゃん!」

え、、そ、そだっけ?

「あんなん毎回きてたら倒れまくって大変じゃん!!」

 

あ、あれ? なんか想像してたのってもうちょっとレベル下目なの?

 

忘れていたが、エネルギー量多めと思われる友人と比べると、私はあまりエネルギーを所有していない方である。なので、怒ったりとかそういう負の感情は「エネルギーがもったないない」と思って考えないようにしているタイプである。そんなタイプが毎回エネルギー不足でぶっ倒れる状態を憧れていたとは、エネルギー不足も甚だしい。

と、そんなことがあり、まさか友人が思っている仲のよさレベルもハイパーインフレってるんじゃないかと危ぶんだのだが、まったくもってその通りであった。

理想を掲げるが実は相当ハイレベルということもある

なんだかうまくいかないなーと思ったとき、それは思った以上に自分がハイレベルな理想を掲げていて、まったく実現性がない場合もある。

あまりにもうまくいかないときは、達成するレベルとちょっと考え直した方がいいかもしれないかもしれない。