works4Life

飯と酒と時々GTD

主体的な行動に変わる瞬間

私は、洗濯を干す作業が嫌いだった。だった、というのは、今はまぁ普通ぐらいに意識が浮上したからだ。私が嫌いな洗濯を干すのは、干す以上に嫌いな状態になるのを塞き止めたいのと、干すことで非常に嬉しい状態になるのを促したいからだ。

干す以上に嫌いな状態とは、洗濯して放置したら、非常にくさい匂いになること、そのままカビが生えてしまうこと。実際そうなったことがあるわけではないが、墨汁を腐らせたことはあるので、推してしるべしだ。何より水の腐った匂いがどうにもダメで! これを防ぐにはすぐ干すことが一番だ。

干すことで非常に嬉しい状態になるのは、干した後の洗濯物がふわふわになることだ。これはいい。非常に嬉しい。が、液体アタックにした途端ふわふわ感が少なくなったので戻そうかと考えている。

これら二つの理由から洗濯物をすすんで干すようにしている。干すようにしているのだが、その作業単体だけというと、非常に嫌いだ。特にこの冬になってますます手はかじかむばかり。

しかしながら、ある日洗濯物を干しながらふと思った。

きっちり理由があって納得づくですることを理解しているのに、なぜこんなにこの作業を嫌う必要があるのだろうか、と。

その瞬間、意識が颯爽と変化した。そして冒頭に戻り、洗濯を干す作業は、今はまぁ普通ぐらいに思えるようになったのである。

思うにこれは、目的と作業とが繋がったんだと思う。

そしてその瞬間、私の洗濯を干す作業に対する気持ちがばさっと変わった。尚且つそれは習慣として根付いた習慣でもあり、意識を敢えて外す作業でもあった。

意識が変わったと言えば単にカッコいいだけかもしれない。それ以上に感じたのは、具体的には、その作業を実行しようとする時のエネルギー量が以前より減った感じがすることだ。

そして、意志が内側から(インサイド)発せられ、外側(アウト)に向けて発せられた。

最初はフィードバック→行動で始まる循環の輪の繋ぎ目が、徐々に行動→フィードバックへとずれていく。

そして、行動は義務から主体へと遷移していった。