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【昼休み日記】昼休み日記雑感

昼休み日記を始めて2週間ぐらい経つのでその雑感を記す。

 

通常の記事作成と昼休み日記作成の差異はどうなの?

通常自分が記事を書くときと、今回の「昼休み日記」を書くときの差異は下記の通りである。

1.1記事に配分する記事の時間が制限されている 2.推敲がほとんどない 3.準備時間が少ない

 

1.1記事に配分する記事の時間が制限されている

昼休みで書ける分程度の分量で、というのではじめたものだから時間は確実に制約された。最初は10分だったが、結局は30分程度書いて若干オーバーしている時もある。

2.推敲がほとんどない

そんなわけで、書く時間にほとんどを費やすために時間を割くため、文章の推敲はあまり、というかほとんどない。いつも勢い任せで日記は書かれている。

3.準備時間が少ない

さあ書こう!という段になるまでの準備時間もあまりない。もともとそういった準備はあまりしないタイプだったのだが、さらにそれはなくなり、現状は書きたいことのトピックを列挙する程度ぐらいの準備しかない。あとは頭から言いたいことをさらうぐらい。

 

日記やっててどうなの?

割とよい。時間もこの時間だけ!と決まっている分、ほかでやんなくても昼休み日記だからいいもんねーと思ってそこらへんの区切りが出てくる。あと、昼休みに書くと決まっているため、何か出さなきゃーと思ってちょっとうんうんうなるのもいい。なんだろなーこの押し出される感がそこはかとなく丁度いい。

この時間だけ書いて日記出せばいい、というのは、出力時間が決まっているのでなんというかエネルギーを放出するタイミングがわかっているのでタイミングが合わせやすい。

このエネルギー放出のタイミングの合わせやすさについてはちょっと目うろこだった。自由きままにしているほうが楽なのかというとそうでもなく、時間に合わせて条件そろえているほうが心の準備ができる、という点でどうもよいらしい。確かに小さい頃にピアノの練習ができたのは時間が決まってたもんなー。6時から7時の間の、丁度アニメも終わってニュースばっかりのつまらない時間だったというのもある。

 

これからどうするの?

これからどうすの?というとちょっとしばらく続けていこうと思う。言いたいことがあったとしても、出力しなかったら元も子もないわけだし。それに、平日だけとはいえ1週間のうち7割書いていると、そこそこ筆のすべりもよい。

デメリットは推敲する時間がないので、もっとちゃんと書きたい!と思っても日記で茶を濁すことがあるけれども、それはまたちゃんと記事化すればいいかもしれない。

記事ってのは情報が重複してるのって悪だと思っているところが私にはあるんだけれども、でもウェブを見る限り、むしろ重複してされて研ぎ澄まされるというライフサイクルも許容されつつあるような気がする。本やそういったメディアに書いているわけでもないんだから、そこはもうちょっとゆるっとしてもいいかなと思う。

 

まとめ

今回の日記で改めて認識したのは、やる時間帯とかける時間をある程度拘束して実施するのはリピートしやすいこと。もちろん出力の質は落ちるけど、続けていくことを優先するならまぁ質の優先度は落ちてしまうのはいたし方あるまい。

そんなこんなで明日も書くと思うよではまた。