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works4Life

飯と酒と時々GTD

認識の変化をキャプチャーする

アーカイブ アーカイブ-昔の雑記

私のキャプチャーしたいことは雲をつかむような不確かさだ。私がキャッチアップしたいのは認識の変化のその前後。なのだが、これをうまく掴めたためしはない。

ああこれは!と思った瞬間に馴染んでしまい、本当にそれは変化だったのかと疑わずにはいられない。

一歩ずれるだけで高速の車を避けたような変化は、本当にその微々たる行動が、大きな効果をもたらしているのかよくわからなくなる。

認識の変化もそうだ。

認識の変化は、イメージで話すなら、1000フィートで飛ぶのを常としていた鳥が、2000フィートを常にして飛ぶようになったものだ。フィートが高くなったことで、気にすることも異なる。空で言うなら気流の激しさ、天候の変化の度合い、同フィートで飛び交う鳥たちの速さなど。地上を見れば、今まで気にしていた地上の事物が小さく見え、今度は別のものが大きく捉えられる。

最近、といってもここ数ヶ月のうちに、私にもこの変化がやってきているようだ。しかも徐々に、何回かのタイミングを分けて。

一度目は2月あたりの厳しい状況に陥った場合だ。あれはスタートであって、その後何週間後かに、その意識の違いを認識し、徐々にその上の方へ引っ張られた。でもそれは、変わった、というよりも、慣らされたとか諦めたとかそういう感覚だ。

次に現れたのが、物事の捉え方だ。今の今まで、カテゴリ別にプロジェクトを捉えようと思ったことはなかった。それが、いきなりプロジェクト単位ではなく、その上位層のカテゴリに区分けして考えるようにシフトしている。いつの間にか。

これについても、こうするのが当然だ、というように手足が動く。

これらの変化は極めて滑らかに移行されていく。自分でも気づかないうちに。私だって、それが本当に変化らしいものか認識するのを疑わしく思っている。

エレベータで感じるほんの少しの無重力のように、その変化は、私の認識の中でも、心もとない現象なのだ。それなりに十分に注意を払っていると思っている私自身でこうなのだ。

ところで、なしてこんなことをわざわざ書いているのかというと、以前から不思議に思っていたことがあったからだ。

高い視野、長期的な思考はどういったものか。具体的にその思考を持った瞬間どのように変化するのか。

友人が勉強がナニが楽しいかと言った時に、いつもパーツパーツだったものが、いつの間にか高いところから見ることができるから、といったものがあった。

私はというと、いつの間にかできるようになっていた、という方が多いのだ。それは、エマジェネティックスのコンセプト型の学習ではよくある話だ。一個一個積み重ねるのではなく、寄木細工のように、複数のパーツを一気にはめ込もうと試みるのが、コンセプト型の学習方法だ。その変化は一瞬で、変化したその後、瞬時に忘れてしまい、あたかもその形が昔からあったように振舞うのだ。まるで、一種の記憶喪失のよう。

そんなんで、認識の変化があるときに、自分にどんな変化が起こるのか確かめたかった。ついでに言うなら、その中堅どころへの変化がどのようなものかも知りたかった。私が納得するような説明を見つけたかった。

初出:

  • 2010/7/3