works4Life

飯と酒と時々GTD

無意識とコミュニケーションする

 

この作業ができるようになって、ようやく無意識と少しコミュニケーションができるようになったかな、と思えるようになりました。

works4Life season IV » Blog Archive » ThinkingRock 2.0を使ってできたこと

このエントリは今自分自身の状況をトラッキングするためのエントリです。

違和感

前回のエントリで、上記のように書きました。これは、自分の行っているプロジェクトをまとめる作業ができるようになったことに対しての私のコメントなのですが、実際書いた時、私自身が非常に違和感を感じました。

どうして私は、価値観を見つけるアプローチを、無意識とコミュニケーションできるようになったと理解したのか、そこが自分でも不思議でなりませんでした。

まるで、価値観は無意識の所有物であり、それを理解するために意識が意識的に無意識と会話をして引っ張り出そうとしているようではありませんか。

私は今までに価値観を見つけようというような文面はよく見聞きしてきましたが、価値観は無意識が持っているものだ、というようなことは一切聞いたことがありません。なのに、なぜ私は価値観を見つけることが、無意識とコミュニケーションすることと同じというような言葉が出てきたのか、さっぱりわからないのです。しかしながら、それと同時に納得している自分もどこかにいるのです。

無視できない無意識

無意識に関しては、以前にも上記のエントリについて書きました。いろいろGTDをやっていると、無意識とは縁が切れないことを理解するどころか、うまく使っていくことがこれから必要なことなんじゃない? というような内容です。

でもここで考えていたのは、あくまで身体的に伴う行動に関して、無意識が勝っているのであろうと解釈していました。

しかし、私が感じた違和感は、無意識は無意識なりの考えがあってそれを意識がお伺いに立てに行くという図式です。

しかし、脳の中の幽霊では、意識の認識を取り違えるように身体的な操作が行われている症例を説明されているところを見ると、無意識によって意識は操作されているようなのは確実のようです。無駄な抵抗はやめて、今後は「わたし」は「わたしでない私」とコミュニケーションをもっと取れるように努めていきたい所存です。

無意識は意識の悪いようにはしない

といっても、「わたし」が白旗を揚げるにもそれなりの理由があります。「わたしでない私」は「わたし」の悪いようにはしないことを知っているからです。それに、「わたし」が無茶を言えばそれなりに理解を示してもくれるのです。まぁ結構骨は折れますが。

なので、「わたし」が、「わたしでない私」を疑いさえしなければ、それなりにうまくやっていけるコンビなのではないのでしょうか。

だがしかし

そんなことを毎回考えてるようでは時間もないので、普通にやっていくだけです。たまに見つける、見たことも話したこともない先導者の足跡がちょっとむかつく、というお話でした。