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【GTD】GTDの信頼できるシステムとは、物を忘れたら「自宅に忘れた」と言い切れる「自宅」と同じではないか

サマリ

 GTDで言うところの、信頼できるシステムとは一体なんなのかと納得のいく説明が出てこなかったのだが、最近は、自宅の概念が近いのではと思うという話。

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GTDの信頼できるシステムとは?

 GTDは、気になることやものなどは信頼できるシステムで管理しなさいとおっしゃる。信頼できるシステムとは、ここを見れば安心だ、といえるシステムというのだが、なんというかしっくりくるようでしっくりこない説明だなと思っている。

 ところが最近、いくつか書きだしているうちに、それは我々の住む『自宅』に概念的には近しいのではないかと思っている。

 

「アレさあ、忘れたみたい。自宅にあるのはわかってるんだけどさ」

 必要なアレをもっていく段においてがアレが手元になかった時、こんな風に弁明することがあるだろう。このセリフは、気軽に口から出てくるセリフなんだが、前提条件がある。

  1. アレを自宅にしまったこと
  2. アレが自分が動かさない限りには、自宅から出ていかないこと
  3. アレが、自宅から取り出せること

 自宅なんだから、アレであろうとなんだろうと、物を置いたらそこにあるのが当然じゃない、とも思うだろう。銀行に預けたらお金は盗まれないのと同じぐらい、私たちは自宅に置けばそのまま存在するーーそれが当然だと思っている。

 この、自宅にアレがあると信じて疑わない確信さこそ、GTDが求めるべき「信頼できるシステム」の特性なんではないかと、思っている。

 

ところが物理はともかく、質量をもたないタスクとなると…

 しかし、残念ながらこの自宅という概念、物と金に対してだけはよく適用されるんだが、質量を伴わないタスクやアレやコレになると、あまり重要視されない。

 私は物覚えがいいから大丈夫なのよ! と、自分の脳の有能さを信用している人は多い。覚えた記憶は徐々に変成させることを知ってか知らないのか、忘れずに持っていこうと記憶していたのがいつの間にか、忘れずに持っている、という風に記憶がすげ変えられることだってあるにもかかわらずだ。

 今一度考えてみよう。アレがタスクになったら、脳という自宅は安心しうる仕組みなのか。

  1. アレを脳にしまったこと
  2. アレが自分が動かさない限りには、脳から出ていかないこと
  3. アレが、脳から取り出せること

 

 まあ、1の脳にしまうのはいい。次の2はどうだろう、「脳から出ていかないこと」。いやーすぐに忘れるのでこの2から怪しい。いやいや、出ていかないよ、ただ思い出さないだけで、って言い張る人で2は確保できると主張するのもわからないでもない。しかしながら、3の「アレが、脳から取り出せること」これがうまくいかない。うまくいかないとなると、それは、通常私たちは「忘れている」という状態だ。

 物理的な物なら探せば見つかる可能性はあるものの、物理的質量を伴わないタスクなアレになってくると、探しても見つからないことは多く、もはや「自宅」である「脳」に存在しないに等しい。「脳」は、「信頼できるシステム」とは言いきれないのである。

 それで、GTDでは、「脳」というのは、「信頼できるシステム」にふさわしくないとして、紙なりなんなりの外部システムを推奨している。

 

いろいろ宿替えしていると、この信頼できるシステムができるかというと… 

 この信頼できるシステム、今使っているツールがその信頼できうるシステムになるはずなのだが、なぜならないかというと、よくツールを引越しているからだったり、全部を委託していなかったりして、中途半端な状態で運用しているからだ。

 それで、信頼できるシステムなどない、と思ってしまうのも確かにまぁそうなのではある。

 いずれにせよ、信頼できるシステムとは、システムがなんであれ、何でもそこに委託し、繰り返し利用することで成功確率を高めることによってのみ、醸造できるシステムである。

 というのが、今の私の「信頼できるシステム」に関する捉え方である。

 

 

全面改訂版 はじめてのGTD ストレスフリーの整理術

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