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works4Life

飯と酒と時々GTD

ハーバードビジネスレビューレビュー  PFドラッカーHBR全論文

6月号はドラッカーがHBRに寄稿した論文集だった。本誌は、彼の論文を時系列に並べ、1950年から2000年まで34の論文を紹介していた。

さて、私はHBRはつまみぐい勉強よろしく、自分の好きな論文をつまみぐいして読むことが多かったが、今回は時系列で読むことにした。書いた人間が単一であることから、その人の思考対象が、年代を重ねることでどう変遷していくかを見ていきたかったからだ。

■全体の流れ

今、60年代の中盤の論文まで読み進んできたところだ。改めて論文のタイトルを見直すと、次のような文脈を感じとった。

45年の終戦を迎え、50年代は華々しく工業が栄えた。その中で企業として経営者はどうあるべきかについて、ドラッカーは寄稿している。

50年代後半において、アメリカの世界的リーダーシップは薄れ、今までのやり方は異なってくることを、ドラッカーは示した。そして60年に「自由経済の競争力」を寄稿し、60年代は自由経済の時代であると示唆している。

しかし、実際それを受け入れる会社は少なく、60年前半にはその対策に関して彼はいくつかの論文を寄稿した。

60年代の自由経済の勝者は日本だった。それが1970の「日本の経営から学ぶもの」「日本の成功の背後にあるもの」から見とれるだろう。

70年代からは経営者から新しいキーワードが出てくる「組織」だ。「会社」ではなく「組織」というキーワードである。ここで私は考えた。「会社」ではなくなぜ「組織」という言葉を用いたのか? 「会社」はたとえばそれは、経営者がこうだ、と取り決めたものであって、その構成自体にはなんの行動も存在しない、ように見える。しかし、組織はその組織を構成する要素の一つ一つが、小さな意思決定を持ち行動する、という要素を持ち合わせている。会社と組織はこのような違いから出ている。

50年代は、トップダウン的な考え方でも経営が成り立っていたが、60年代以降の自由経済ではそれだけれでは通用しなくなった。トップから命令が降りるまで行動しない「企業」ではなく、個々が多少の自主的な行動を許容する「組織」が勝利を得た。つまり、日本だ。

80年代以降は、この日本からもたらされた「組織」に、ドラッカーは傾倒している。「組織」の重要な要素となるのは「人間」そして「情報」だ。人間に関しては、「人事の秘訣:守るべき5つの手順」を、情報については「情報が組織を変える」という論文を寄稿している。そして、80年代としてのマネジメントの提言として「マネジメント:未来への課題」を寄稿している。

90年代のキーワードは、「多元化」と「エグゼクティブ」だ。50~60年代には「経営者」というキーワードと比較して「エグゼクティブ」という言葉が出てきたのは興味深い。会社の成長度合いが50年代より成長し、企業内での役割が増えたように思う。それに併せてドラッカーもエグゼクティブに関して寄稿している。

ところでエグゼクティブという種族がどのタイミングで出現したかはわかないので、上記の予想はひじょうに不確定だ。

90年代は、「多元化する社会」を寄稿したのをあわせたように、彼の論文のテーマは以前に比べると範囲が広くなったように感じる。

2000年代は再度マネジメントに戻している。

このように見ていくと、彼の視点が大きく広がっているように見える。最初は経済から始まり、経営者と企業に関して。企業の次は、マネジメントに関して広がっている。次には、マネジメントが活用される組織に対して、今度はその組織からその組織を構成する要素(人間と情報)に関して移動していった。80年代までは視点の向き先がメインのものを感じられるのだけれど、90年代は一気に網が広がり、すべてが彼の注目の対象となっていてよくわからなくなった。

彼のベースとなるのはマネジメントである。時代時代によって、マネジメントの方法や実際のやりかたは異なる。そしてその対象もまた変わってくるのだろう。