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飯と酒と時々GTD

「ADDの傾向なかったよー」「え゛っっ?!」

自分が普通だ、と思っていたことが実は違うのだと知るのは、随分衝撃的だ。

私は最近このような経験を2度している。一つはエマジェネティックス研修で、そしてここ最近のもう一つは、ADDチェックである。

ADDについては、ついぞ誰にもそういう傾向はあるだろうと思っていた。で、チェックをしたところ、私自身に不注意型ADDの傾向がある、と出ても、大体そういう判定はつくものだろうと思っていた――その時の心象を正確に表すならば、たかを括っていた。しかし実際はそうではない。

友人が同じチェックを行ったところ、どの傾向も0であり、何らの傾向を示さなかった。この時、タイトルのような反応を私は示したが、それ以上に内の驚きといったらない。それから更にしばらくした後、自分はADDの傾向があるんじゃないのか、と、心の何かがドーンと落ちた。

 

心の何かがドーンと落ちた、は恐らくアハ体験のマイナスのパターンのように思う。自分にADDの傾向はあるだろうというのは、薄々感じていた。そういう傾向は認めていたものの、今まで成人になるまで多少なりとも問題はあっても生活はできてきたのだから、取り立てて問題としていなかった。入社式に社長を目の前にしながら居眠りをぶっこいたとしてもである。

それが、友人の質問の結果が何の傾向も表さなかったことで、この質問で傾向が出ることは、本当にその傾向があるのでは、と真面目に認識したのである。結局のところ、私はそれなりの気持ちで判定の質問に答えていた割に、全く信用していなかったのである。この事実は非常におもぐるしい。私自身は信用していたのにも関わらず、実際の所は全く信用していなかったのだから。ああああ……。

心の何かがドーンと落ちたことで、ようやく事実と認識が結びついたのである。ちなみに、この現象は経験と認識がつながったことによるエネルギー遷移だと、私は勝手に思っている。あんまりうれしくない。とはいえ、これがあったことで、私はようやくADDという内容に、向き合うスタート地点についたように思う。

 

しかし私は少し悩んでいる。ほとんど80%がた、どうするかは決まっているのだが、どうやら私の中に、反対勢力がまだいるようだ。コンセプトの強い私は、面白そうじゃーん真面目に判定受けにいこーぜ! と声高らかに言ってるのだが、その反面一部の勢力が「ちょっと待ってよプレイバック! そんな重要なことを面白そうで受けに行けるか!」と反抗している。明らかに分析型&柔軟性の「私」だ。こやつらの徹底抗戦は激しいもので、「私」たちの大半は何度も意見を覆されることがしばしばある。

反対勢力の意見はこう。

  • 受診した所でメリットがない
  • 会社に対する考慮はされるわけがなく、それは今まで生活できてきたことからしても、今後表明したところで全くの効果がない
  • 受けたとしても、具体的な弱点部分がでなければ、どの現象が作用しているのかを特定できない

この反論に対する反論はこう。分析型&コンセプト型ががんばっている模様。

  • ADDかそうでないかが判明することでメリットがある。今後どっちかどうだかで悩む必要がない
  • 体の性質がそんなだから何か考慮してほしいとは思ってないし、それを気にする理由がわからない。だいたいそれを表明するのも、なんか野暮ったいのでやりたくないし。
  • まだ検査については調査中だから、具体的な弱点部分がわからない、とは言い切れない。
  • 仮にADDだとすると、いくつかの不可解な行動がADDで説明できるかもしれない
  • やってもいないのに、文句を言うのはどうか
  • とにかくやらせろ

多分する方向で。特に緊急の内容でもないので、いつ実行するかは未確定。

 

しっかし、GTDTimesを読んで再考するとはなー。