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飯と酒と時々GTD

絶望の記憶と世界の始まり

今までの中で、大なり小なり絶望を感じた時を思い起こすと、いくつかある。

最初は小学校高学年で1回。 中学で1回。 高校で2回。 大学で1回。

少なくとも、記憶にある中でこのぐらいが思いつく。

絶望といってもそのときに感じたものは、絶望からほど遠いものもあるが、何にせよショックを受けた体験という意味では共通している。

小学校高学年時、学校単位での学級会を行った。そこで副委員長みたいな感じのものをやって、ときたま私が委員長にごにょごにょ言って、会が珍しくまとまって終了した。その後、委員長が先生にほめられた。

書いてみると、そんなごときで小学校ではショックを受けるのかと思った。でも小学校はそんなものだな。小さなことで自分の所有権を主張したものだ。そんなんで、小さな私も、先生の賞賛が本来は私が享受されるだろうと思ったのが、そのときの委員長に流れてしまったことに、少なからずショックを受けた。

かように、行動に対する評価はずれるものか、と。しかし私は取り立てそのことについて先生に告げることもなかった。

中学校は、塾に行くのが楽しかった。楽しかったは楽しかったが、勉強に意味を感じるかどうかは別だった。小学校の頃は、それなりに授業が楽しかった覚えがあるのに、中学校に行くとその楽しさが全くなくなってしまった。その小学校の時の楽しさは、塾で補完されることとなったが、中学校の授業自体に辟易した感情を拭いさることはできなかった。

どうして勉強なんかするんだろう? と、当時の私はさめざめと嘆いた。その気持ちを推測するに、その勉強がどこに役に立つのかさっぱりわからなかった、というのが表面的な理由であろう。そして、深層的な理由は、つまらない授業に納得せず受けさせられている(と自分が思っている)ことへの怒りのような気がする。

中学校の成績表は非常にクリアだった。100点成績で、五教科は90点が中間考査と期末考査の点を足して二で割って90%にした値となる。残り10%は日頃の行い点だ。 私の成績は上々だったが、そこに中学生全員の努力した結果が反映されることはなかった。原因と結果の均衡はくずれるものだと、なんとはなしに理解し始めたのも、この時期だろう。

高校に進学した。 高校は、よすぎる高校にうっかり進学したと言わざるをえない。

中学校の「なんで勉強なんか」という気持ちはますます強くなった。理由をいろいろ考えるものの、意義を見いだせないから、というのもあるが、明らかに「勉強そのものがつまらない」という不満が高いように思う。つまらないのに、他のみんなはそれなりに授業を受けているのに、どうして自分は素直に授業に受けられないんだろう、ということでも二重にショックを味わった。

しかしながら、高校で絶望した内容は違うものもある。

一つは文化祭の時だ。私が言いだしっぺで、大きな壁画をクラス全員で作ることになったが、人が集まらず進捗は芳しくなかった。

そんな折、季節はずれのあられに見舞われ、屋上で作業をしていた壁画は濡れに濡れ、文化祭まであと数日ではとてもじゃないが間に合わないかのように見えた。

あられをどこからか駆けつけたクラスメート達が一気に一斉にがんばりはじめて、結果、文化祭に完成が間に合った。あのあられの時、皆が動いてくれなかったら完成できなかっただろう。ありがとう、皆……! というようには、なぜかいかなかった。

私はその時、感謝の気持ち以上に、なんともやりきれない気持ちになった。みんなが参加したのは、天候のおかげであって、まぁ結局自分ががんばってようががんばってなかろうが、あずかり知らぬ所で物事が進んでいったことに、ショックを隠しきれなかった。

これによって、他人がどう動くか私は予想しても、その予想の内容に確信を持たないようになった。 いい意味でも悪い意味でも期待しなくなった。

こうやって考えると、本当にひとの絶望なんて、なんでそんな所で、といったような部分に陥るものだと思う。とはいえ、その時点の思想体系等からは、その反応にならざるをえなかったのだろう。

そんなんで、高校の時に感じた一つ目の絶望だ。

二つ目の絶望は、至高の極みとともにやってきた。

高校当時、私は島田雅彦に傾倒だっていた。島田雅彦は中学校の頃から毎日新聞で知ってからそれなりに興味が湧いていた。そんなこんなで、島田雅彦の本を図書館から読んでは感激していた。

なんと私の言いたかったことを言い当てているのだろうかと。

それは鋳型が見つかったような気持ちよさで、至高の幸福とも言うべきものだった。しかし、それはすぐに絶望に変わった。小説が書かれていたのは、当時で既に数年以上も前の話だ。彼の小説を読み進めていくうちに、彼の考えている内容自体は別に進んでいっていたのである。

つまるところ、私がすばらしいと思ったその彼すらも、過去の産物であって、その当時の時間軸の彼と共有できるわけではないのだ。ある同じタイミングに合わせて同じものが分かち合えるのは、ほぼ皆無に等しいどころか、1.000から1.000への真の理解は有り得ないのだ、ということに思い至った。

どうやら絶望は、今まで自分が確かだ、と思ってきたものがぶち壊される瞬間に感じるように思われる。 そして、このようなエピソードを一言で言い表すとすれば「断絶」というのがぴったりな感じがする。

大学生になった。

理系の大学で実験など大変だった。ますます勉強はきらいになってた。プログラミングのような、好きな授業もあるが、そもそもテストのための勉強というものが苦痛で、なんとかかんとかしのいでいた。他には、OBの人の会社が大学の近くにあるので入り浸っていたり、友達のバイト先の事務所が大学の近くにあるので入り浸っていたり、というような感じだった。まぁ全体的に何かしらどよんだ感じがあった。

相変わらず私は鬱屈していた。何をやっても続かないし、興味をわくことすらないことも多くある。それでいて自分が自分が、というあまりに自己本位な考え方にうんざりしていた。誇れるものも好きなものも、たいしてなかった。 ゲームはまあ好きだった。

それはさておき、注目するのはその自分本位な感情だ。無駄に、というよりかは余計にいろいろ考えすぎていた。例えば、アフリカの飢饉のことを思っては憂えたが、結局自分は何もしていないことに自分自身を非難した。

知っている人が死んだ。空虚にしか受け止められなかった。私が頭で構築している世界にいる知り合いの実装がなくなってしまったことにショックを受けて、なんて冷たい人間なんだとショックを受けた。書いてる自分が言うのもなんだが、それって悲しんでいることには変わりはないんじゃないと思うんだけれども、その当時の私にはどうやら違ったように見えた。

いちゃもんをつけるのは、昔からの得意技だ。学生の頃も相変わらずだし、自分の意見にさえケチをつけた。利己的な自分の考え方をする自己中心的な自分に対して、ずいぶん自分で自分を非難した。

なら「誰かのために」という風に方向性を変えるべきか? と仮定を作っても、結局のところそれさえも「誰かのために」と自分がおもっている自分のためにすぎない。私の中の屁理屈たれはそう結論づけて、自分自身の行き場を失わせた。それに、「あなたのことを思って言ってるのよ」というようなアドバイスに見せかけた強制は、私が一番嫌いな行為だ。

結局。 私からは逃れられない。捨てることもできない。 私から中心になって、動作や感情、意識が生じることを否定することはできない。 私自身の人生が、こんなはずではなかった、こんなつもりじゃなかった、違う時代に生まれていれば、違う世界に生まれていれば、違う所に生まれていれば、と過去仮定したとしても、そのような仮定自体すら、今現在この場所にいる私から出ているものなのだ。十数年、数十年の息づいた中で出てきた言葉であって、その積み重ねがなくては言うこともできない。今までの経験のどれ一つ欠けても、この現実はもうない。

過去仮定とは、現実を覆す行為だ。頭上の池で入水自殺を試みるようなものであって、どんなに過去仮定を考えたとしても、今現在自分が存在しないことにはそのセリフだって出まい。そして仮に過去仮定の設定が現実となった瞬間、今現在いる私は消えてなくなる。

つまり、過去仮定とは、現在の自分を否定することに他ならない。

そりゃ今の現状と異なる状況を思い描くことは簡単だ。前提条件が異なれば、きっと今の現状すらも異なるだろう。しかし。今は変わらない。 どうあがいたって変わらない。私が過去仮定が非常に嫌う理由はただ一つだ。今を受け入れてないからだ。現状を変え、結果に導くのは自分の行動のみしかないのだと、そして自分が切れる手札は今この瞬間にある手札のみだということを。

それに私は知っている。ある一面では結果がすべてということも。

私は幼少のころから小学校に行くより長くピアノを習っていたことがある。ピアノに関しては非常に出来がよく、周りからのやっかみもあった。

しかしだ、やっかみがあろうがなかろうが、私のピアノが出来には影響なかったし、私もある程度の努力はしていた。なんだかんだとさぼりつつも、平日の1時間は練習していた。そういう行動があってこそ、結果を導いていることには確かだ。行動が結果に結びつき、誰かに評価されたとき、それは実績と呼ばれるようになる。

過去仮定は、これらの実績を、そしてそれに基づく結果をすべて蔑ろに、対等に扱わない作業でもある。何せ今までやってきた自分の実績は否定し、自分にはない新しい付加価値を取り入れることが過去仮定がすることだ。しかも、ないものねだりの付加価値だ。

実績をとるか、あるはずのない付加価値をとるか。

私は実績をとった。だから、私は今の私を否定しなくなり、今の私をゆるした。否、これが今の私の最大で最小であることを認め、受け入れ、和解したのである。今のままでいいんだって。私以上に私を理解し、私以上に誰が私をなぐさめられるだろうか。一番自分の起こった事実に対して実直に考えて意見を述べることができようか? そして、今の私を好きになるようにした。その結果、今現在は自分が大好きっこだ。今までの私は私自身を拒否していたのだ。

私は私と和解し、そして絶望は少なくなった。

このような記憶を書いたのは、一つに友人のことが頭のかたすみにあった。

先日、ものすごく幸せなことと、ものすごく不幸なことが友人に同日に起こった。幸せなことはだいぶ昔から友人にあった問題の一つだった。ようやくそれが終わったと思ったら、ショッキングな事件が到来した。

そのときに、思った以上に現状に絶望していたのだと、友人は言ったのだ。それで、私も絶望について書き連ねてみた。読んでみてどうだったろうか。自分ですらもう記憶と感情がかけはなれていて、その当時感じた気持ちを思い出すことはできなくなっていた。もはや、過去の自分すら他人になりつつあるのだ。

絶望はその字の如くだ。望みが絶たれてしまう状態だ。私は友人の絶望をはかり知ることはできない。それと同じで、友人も私の絶望をはかり知ることはできまい。私は私の絶望したことに対して、誰かに共感してほしいとは思わないし、共感できるとも思わない。それより、同じ評価軸上にのぼれるものではないと思っている。残念ながら、絶望は自分だけのものであり、それ故に孤独だ。

私が友人に対して危惧したのはこの後の展開だ。

友人は自分自身の人生がドラマティックだといった。私はすぐにそれを全否定しておいた。確かに、わりと何でも素直に受け入れられる自分の中でも、友人の人生はドラマティックな方だ。それでも、私は友人が自分のことをドラマティックだと言った言葉を否定した。明らかに自分の人生の価値を固める算段を感じたからだ。

ドラマティックという言葉を用いるだけで、人生はあたかも価値のあるように見える。すばらしいような感じには見える。本当だろうか? そこに、その人生の主人公がハッピーかどうかで、ドラマティックという言葉の意味が分かれる。ハッピーならば、ドラマティックな人生を生きたと肯定的に。そうでなければ、流れに翻弄された生き方だったと半ば否定的に。

友人のドラマティックな人生はもう聞いた。解決したことは、その翻弄されたドラマティックな人生から、航海に躍り出るようなわくわくした人生に切り替えるためのものだろう。それをもう人生いっぱいでしたと、何ふざけたこと言っとんのか。

長年の問題は友人にとって大きな心を締めていて不健康だと思っていたので、それがなくなればもっといいことが広がるんじゃないかと思って応援していた。断じて「やるだけやりました思い残すことはありません」といった、終わりのための応援ではなく、「責務は果たした、さあ新しいことに向かおう!」という始まりのための応援として、手助けしてきた気持ちだ。

ドラマティックかどうかが、自分を満足させるかどうかは別であることを言いたい。その言葉に自分が満足したかどうかは寄与しているのか?

本当に自分がしたいことをやってきた人生なのか? 問題が解決して、本当に思い残すことがないというのか? 本当に、自分がしたかったことが明るみになったのか? ここで終わるのが自分の限界か?  今絶頂の幸福の中なのか?  やりきるだけでいいものか。

絶望もまたドラマティックに見えるかもしれないし、感じるかもしれない。しかしその絶望が永遠に続くわけではないし、自分から幕を引くべきものだ。ドラマティックは終わりゆくものであり、ある短期間の激動の状況を表しているだけにすぎない。その言葉自体には、残念ながら価値はない。

自分が満足したかそうでないか、それだけが自分の世界に価値を与える。

絶望の記憶で人生を終えるのか、それとも至福の記憶で人生を終えるのか、自分だったら、どちらを選び、進むのか。それだけは、自分が自分にのみ与えうる変化である。私自身もそうしてきたし、これからもそうしていくだろう。今は終わりじゃない。始まりだ。いつだって、今は始まりだ。世界は今始まったばかりなのだ。

初出:

  • 2010/01/07