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私たちは世界にどのように影響を及ぼしているのか?

シゴタノ! - 茂木健一郎が答える―どうすれば、「やりたいことがやれる」ようになるのか?

本書の「キモ」は冒頭に来ます。「入力」(感覚系から、情報や刺激を脳にインプットすること)と「出力」(脳を活用して仕事や作品などをアウトプットすること)のバランスをとれ、と茂木さんは冒頭で主張しているということです。

「感覚入力系」と「運動出力系」というものが、「直接につながっていない」という言い方は、結局のところあいまいさがぬぐいきれません。

via シゴタノ! - 茂木健一郎が答える―どうすれば、「やりたいことがやれる」ようになるのか?

上記は、シゴタノで記載されていた佐々木正悟さんの茂木健一郎の本についての記事です。私がこの記事に興味を湧いたのは、佐々木さんの『あいまいさがぬぐいきれない』と言ったところです。その意図するところはまったく読まずに、以下派生。

 

私から見て、この『ぬぐいきれない』というのは、二つの側面から読み取れました。すなわち、「入力」したデータが体内を通って「出力」されるが、その経路において「脳」等の複数の器官を経由し、直接につながっていないこと。もう一つは、「出力」したデータが、世界を通じてその結果が出るが、情報を「入力」し、思ったのと異なると、脳が判断をすること。文章の文脈から考えると、前者の方が、意図としているところかもしれません。

前者については、科学的な要素から見て、明らかに繋がっていないことは確かです。しかし、「繋がっていない」ことから生じうる、「入力」と「出力」のギャップを生み出すのは、私たちではありますが、実際の発生場所は、私たちの存在している環境、つまり世界です。何故、理想の状態を目指しつつ「出力」するにも関わらず、「出力」が世界によって現れ出た結果を「入力」すると、理想と異なるのか? これは明らかに、「出力」に問題があります。

しかし、「入力」が発達すると、「入力」したものと同等のことが、あたかも「出力」できると、私たちは考えがちです。「入力」レベルと「出力」レベルは、別々に発達します。この概念は、まぁRPGのキャラのスキルみたいなもんだと考えれば、わかりやすいです。

西日本で超人気の「探偵ナイトスクープ」でやってたコネタを思い出しました。速読の先生が150km/hの野球ボールを打てるというコネタ。カキーン!といった打ちではありませんでしたが、ちゃんとボールが当たっていました。これは、速度を受け取る「入力」レベルが非常に高いため実現できた例です。しかしながら、バットを振るという「出力」レベルは普通なので、ボールが当たったというような結果になっています。

で、私が最終的に思い出したのが、インサイドアウトという7つの習慣の1番目の習慣。体の表面を覆う皮膚から内部はイン、そして皮膚から外部がアウト、というのを私は明確に感じています(気の概念とかあるけれども今回は無視)。アウトに出てしまったものは、予想可能なものも、予想不可能なものも含め、ありとあらゆる外的環境の影響がかかります。内部は外部と比べて、大幅に制御可能な世界です。しかし、外部は制御可能かと考えると、比率的に考えると内部よりははるかに低いです。この制御可能な比率がまったく違うことを、理解することがインサイドアウトの第1点だと思っています。

第2点は、「入力」した情報を内部で解釈するかといった時に、自在に文脈を変えることができること。「いやよいやよ」も「好きのうち」と解釈するのか、「嫌いなのね」と解釈するのか、それを自分自身で決められるかどうかということ。

インサイドアウトの感覚というのはどういうものか、毎回説明しようと試みているんだけれども、やっぱりなかなか難しいです。まぁインサイドアウトがどうであっても、「出力」は大切ということです。「出力」だけが世界に及ぼすことができるのですから。