読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

works4Life

飯と酒と時々GTD

GTDのInbox範囲は自由自在

 

すべての Inbox がなくてはいけないというわけではないのですが、少なくとも「自分が気にしている」ものが外部のシステムにキャッチされていないと、いずれすべては忘却されてしまうということを示していると言えそうです。

アップルの Mac OS X が成功しているひとつの理由に、写真のすべては iPhoto、音楽はすべて iTunes といった具合に人生において需要の高い情報の集合ごとに見事なアプリが存在することがあげられます。

そして手帳を見事に活用している人には、手帳への依存の仕方がうまいというのか、ちょうどよいバランスで手帳に支えてもらっている人を多くを見かけます。

この考え方はどこまで拡張することができるのでしょう?

不安や焦りを受け止める受信箱がなければ心は壊れてしまうということもいえるかもしれませんし、家族のできごとを記録する受信箱がなければ絆に綻びが生じるということもいえるかもしれません。

自分の受信箱がどこにあるのか? それは機能しているのか? それを知ることは、あるいは自分の人生の舵取りで大きな意味を持つのかもしれません。

あなたの Inbox はどこにある? 人生に必要な「受信箱」について

 

Inboxに入れる『物』の範囲

Inboxに入れる『物』の範囲、というのは私の中でも前々から議題にあがったことのある一つだ。で、現状の結論は以下のとおり。

自分の好きな、気になるものを入れればいいよ

人によって、気になることは、本当に異なる。例えば机の冊子が整然と並んでなければ気が狂う人もいるわけだし、反対に整然しすぎる空間があまりに発狂しそうだと思う人もいる。人が、快適だと思う理想の状態は、変わる。

 

じゃ、今の私の『物』の範囲はどうかというと、次のとおり。

思い浮かんでから、それが形になるまでの経過

これをGTDのステップに当てはめると、処理ステップにあたる。この処理ステップの部分を延々と繰り返し、自分なりの結論を決める。以前、私は私のことがよく分からない、と書いたことがあった。この「気になること」というのは、その私を理解するための大切なプロセスなんだろうと思う。

というような話を以前に書いていたのを思い出した。

 

『物』の範囲のひろげ方の違い

で、Lifehacking.jpさんでは、Inboxをどちらかというとコンテキスト別な観点で、どこにあるかを見ている。私の場合は、プロセス的な観点で、広げている。例えば、「それはまだどうにかしたいものではないだろう」といったような状態から拾い上げるといったようなものだ。

こういった、Inboxの範囲をどこまで広げていいのか、ということすらGTDは自分の裁量で決めることができる。GTDのことを、私は「無味無臭で伸縮自由な杖」だと言うのにはそういう理由からだ。Inboxの範囲を広げようが、GTDの理論は私の中でまだ破綻していない。

 

 

ちなみに、私がプロセス的な観点で広げちゃってもいーや、と思っているのには、GTDには以下のような考えをもっているから。

 

最初のInboxの範囲は、仕事のタスクから

とはいっても、最初から広がりすぎると、その後の処理ステップとかがこんがらがるので、最初は仕事のタスクだけをInboxの範囲にするといい。それから、仕事のタスク→仕事のアイデア→家のタスク→家のアイデア。。といった風に、徐々に広げるのがいいよ。

 

私も最初は仕事のタスクしかInboxの範囲にしませんでした。

違うな、タスクしかInboxの範囲にできませんでした。