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飯と酒と時々GTD

本当にしたいことって何だろう?

Workers' Movement Memorial Creative Commons License photo credit: Fab Ski Girl

まずはしたいことのリストを自分の目に触れさせることができること。

ここまでが大きな壁だ。というのが今までのお話。

内より出ずる敵

人が、自分自身が本当にしたいと願い、それを実際に自分が実現し体験し、尚且つもその実現を人生のうちで何度も行うこと――これが、私の中で至上の自分のしたいことだと、思う。今のところ。

したいことがしたいこと、だなんて、好きな人が好みです、みたいな感じだ。

しかし、これを実際に行うとなると、やる気の問題以外にもいろいろな心の障壁が自分自身からも現れ出るのだ。

例えば。

それは自分にとっては場違いなしたいことであり、身の程を知れ!とか。

そもそも身の程を知るにしても具体的に何がどう相応しくないのかはわかりもしないのに、私の誰かはそんなことを言う。

例えば。

それを自分が達成できると思っているのか、夢見物語も甚だしいとか。

達成できるも何も、明らかに達成できない(例えば試験であるなら年齢制限だとかの)要因がこれっぽっちも出ていないのに、そんなこと言うことこそが現実性を伴ってない夢見物語なことを、私の誰かはそんなことを言う。

例えば。

一つでも達成できれば御の字なのにそれをいくつも達成しようとはおこがましい!とか。

「おこがましい」とは、「差し出がましい」「未練がましい」などの意味で「身の程知らず」という意味。とにかく、基準を出されぬままに棄却されるのは、納得がいかない。理由にもなっていないのに、私の誰かはそんなことを言う。

例えば。

本当にそんなことをして楽しいと思ってるの?とか。

来たな私の最大の敵。なんで君は水を指すのかな。ようやく私はまわりと信頼関係を構築し始めているのに、君はそんなに私の邪魔をするのか。そうだよ、私はそんなことをして楽しいと思っているんだ。

などなどだ。

そんな内側から出てくる感情を説き伏せ、なだめつかせ、撒き散らして対抗しながら、私がしたいという感情を雪玉のように転がして大きく育たせていく必要があるのだ。

感情は、かくも脆弱で、かくもすぐに霧散してしまうのだから。

とにかく、上記のような障壁を越えて、私はしたいと思う。

何も行動をしていないのに、否定するのは腹立たしい。

さて。好物を見つけ実現することは難しいと、話した。

一つは、好物がわかりにくいから。もう一つは、認めるのが難しいから。

私はこういう心持で生きることは、楽しいと思っている。他の人にも同じような気持ちを持ってくれるときっと楽しいと思うので、いくつかのアプローチを行いたいと思う。

一つは、私が好物だと思っていることを公開すること。それは私にとってどんな意味があり、どういう風に好物たらしめているのかを説明する。そうすることで、誰かが自分にとって好物かどうかの指針やユースケースになればいいと思う。

もう一つは、私がプレイフルだと思っている活動のログを公開すること。バイオロジーという購買をテーマにした本がある。この中で、ミラーニューロンというニューロンが購買するのに大きく関与している話があった。

買い物する脳

ミラーニューロンとは、簡単に言えばまねてみたい、コピーしたいという欲求をつかさどるようなものだ。つられあくびや、誰かがしてたら自分もやりたくなったり、そういう衝動の源は、このミラーニューロンに大きく関わっているのだという。

私もミラーニューロンよろしく、楽しそうでやってみたいと誰かが思うようになったらと思って公開する。単に見てみて~!という話したいだけという部分もあるけれども、そういう意図も含まれてるってこと。

自分にとって、あなたにとって、本当にしたいことって何だろう?

私はわがままなのかな? それでもいいや。