works4Life

GTDメインのタスク管理と生息してますログを記載しています。

満足できる仕事と、GTDを紹介し続けていくこと

◆どんな仕事ならば、満足して続けられるのか

このところ仕事についてかんがえる。この先、自分が長らく仕事を続けていきたい場合、どのような仕事だったならば、満足して続けられるのか。

◆私の好きな仕事の要素

この前、ひすいこうたろうさんの主催したホンキの1日@TOKYOに参加した。その中で、自分の10年後について、なりたい自分について、そんな夢を4人で1グループで東京のヒーリングスポットを巡りながら話した。

振り返ってみると、私はGTD勉強会のような場所が好きだ。そして、エマジェネティックスのようなセミナーの場所も好きだ。それから今はまっているネット上で話すことも好きだ。これらについて共通しているのは以下の通り。

1.参加者が少し高まるのを補助していること 2.その補助するのに自分が関わっていること 3.その作業がリアルタイムで行われること

突き詰めていくと、それは誰かが本来もっている力を今以上に出せる環境を整えること、それに加担するのが私は好きらしい。

◆GTDで学んだ「信頼」

GTDで学んだことは多い。特に今一番学んでいることは「信頼」だ。GTDで培おうとしているのは、この「信頼」である。GTDのシステムと自分との「信頼」を構築し、その「信頼」されるシステムを経由して、自分自身と自分とを「信頼」するように拡張していくことができる。

以前、任天堂の誰かがどうして他の会社に転職しないのかという話が、ウェブ上で話題に上ったことがある。個人的な意見では、任天堂とその人との間に信頼関係が構築されているからだ。年収や待遇以上に、一番手に入れられないのが、この信頼関係である。

信頼関係は、どのような振る舞いで実現されるのか? それは、多少の失敗があっても許容されることだ。現に任天堂は、そのゲームの歴史でも失敗も多い。ディスクシステムの栄光は小さい。バーチャルボーイの赤い世界を知る人間は少ない。

しかし、任天堂が他の会社と一線を画しているであろう点は、これらの昔の遺跡が何らかの形でリバイバルを果たしている点であろう。Wiiが世界に現れたが、私は既視感によく捉われる。任天堂は、自分たちのしてきた内容をよく理解している。このことこそが、信頼関係の現れではないだろうか。

◆「信頼」の先の「今以上の力を発揮させること」

さて、任天堂の話は、いかに信頼関係をもって仕事をすることが難しいか、についてだった。

私が仕事で実現したいことはといえば、この信頼関係だ。もし、信頼関係をもって、全メンバーと接することができるならば、どんなによい仕事ができるだろうか。

私が好きな共通事項は、その夢のような信頼関係を、短期間でも実現できることだ。そしてその結果として、メンバー自身が今以上の力を発揮させることを目的とする。

また、私が特徴としている点は、私とそれに参加するメンバーとの信頼関係を作ることを目的としているのではなく、そのメンバー自身の信頼関係を構築していることを目的としている点だ。私自身は、ただの媒介でしかないし、ただの媒介でなくてはならない。

◆「信頼」を構築するGTDとその広がり

GTDが好きなのは、私自身とに信頼関係を構築する方法を提供してくれるからだ。また、GTDは私に強制することもない。このツールを使え、この考え方にしろ――GTDは一切そういうことはしない。人の異なることを当然とし、そのありのままで許容する。それがGTDだ。

「コミットしたいことを思ったことを収集しなさい」

これは、私が収集の対象にしたい範囲に困っていたときに、デビッド・アレンからアドバイスしてもらった言葉だ。

「私」という範囲はどこからどこまでだろう? GTDは「私」が広がろうが縮まろうがそれも許容する。見える先が私の範囲だ。そんな認識の中にすら、GTDの考えは浸透もできる。そうでなくったって、日々の仕事や生活にも適用できる。

◆私は今後もGTDを紹介しつづけていく

私は今後もGTDを紹介していくつもりだ。もちろん、ほかのことにかまけてて、姿勢が疎かになることもある。というか今の時期がそれだ。

けれども、GTDを紹介し続けることだけには私はコミットしている。ただ、苦手なコミュニケーションツールというのがある。自分の一番活動しやすい部分を見つけつつあるので、それに合わせて活動して、ながらく続けていくようにカスタマイズしていくつもりだ。

私がこんなに、明確に言えるのには、それがもちろん私が満足できる仕事だと確信できるようになったからだ。対象とやり方と、どちらの別々に満足するものが見つからないと難しい。 今考えているのは、Ustreamで定期的にWeeklyReviewを実行するためのプログラムを提供することだ。映像は難しいからたぶん音だけになるけれども、それぐらいなら実行しやすいだろう。