どうしてノートはいろんな形で売っているのだろう。どれも一緒じゃん!
と思っていたことがあった。
んだけど、実際自分が使いこなそうとすると、この微妙な違いが合わないのだと、NGを出す自分がいることに気がついた。しかも、明らかに感覚的すぎて、判断基準にするには、微妙な。
@rashitaさんところでノート企画があったので、それに乗じて自分のノートの形状の印象をまとめておく。
サイズ
サイズは、考えをめぐらす広がりを、無意識的に制御される。大きいといろいろ考え、小さいとあまり考えない。
小さいノートだと、まず考えるのに広がりがない。思ったことを書き留めるぐらいしかできない。反対に言えば、小さければ妄想する隙間を与えないとも言う。
本文 - ライン・ドット・無地
本文は、記述する際の頭の巡り方を、無意識的に制御される。
ラインの場合、左→右、上→下、という動きに無意識的に制限される。情報の把握が、ライン毎に分断されやすい。とにかく、無意識的に流れが存在するような気分になる。
ドットは、流れは存在しないが、ドットがあるのでものすごく静的で、制されているといった印象。
無地は無法地帯。
ノートに流れを制御されている感は、ライン→ドット→無地、といった順番。作業ログとかは流れのつよいラインやドット、文字で考えるときはライン、絵で考えるときは無地、といった使い分けになる。
製本 - リング・くるみ・中綴じ
製本は、そのノートに対する扱いを無意識的に制御される。が、書き始めたら実際のところ、本文や、表紙などかぶさって、全体の印象が決定されている。少なくとも私はそう。
たとえば、製本の仕方だけで言えば、中綴じ→粗雑、くるみ→大切、リング→堅牢、といった印象だ。しかし、中綴じでも本文や表紙がよければ、大切になるし、リングでもぺらぺらの紙だと、堅牢といった印象ではなくなる。