参加してきました。
主催の佐々木さんと北さんが、習慣化について紹介してくれました。実験室という名もあって、トリッキーな切り口からの話も聞けてウハウハでした。
北さんからは、習慣化の定着から崩壊に至るまで
北さんからは、自分自身が習慣化し、そして崩壊に至るまでの一連の経過を紹介。
これは超貴重。
何が貴重かっていうと、だいたい定着することまでは皆話してくれる。しかし、そこから習慣の定着が崩壊してしまう部分は誰も話さないからだ。まぁ失敗談だし、あんまりそんな話したくないよね、自分の傷を抉る話しなんて。てことでひと様の経験を外部から聞けれてラッキーであった。
崩壊の理由は、習慣のための時間がなくなったり、そもそも習慣している際の負荷が高いと、バランスが悪くなると崩壊しがち、てことであった。
佐々木さんは、「よい」習慣と「悪い」習慣について
佐々木さんは、そもそも習慣と言われるものについて疑問を感じるところから始まった。習慣には、「よい」習慣と「わるい」習慣に区別される。
ことの発端は、「よい」習慣とよばれるものは、そもそも習慣が根付きにくいのではないか、それはなぜなのだろうか。
以下はその説明を箇条書きにしてまとめた。
- 「よい」習慣とは、「勉強する」「歯を磨く」といったようなものである。だが、誰もそれが「よい」習慣である、と定義することなく自明のもの。
- 「わるい」習慣とは、「タバコを吸う」「夜更かしする」といったようなもの。だが、誰もそれが「わるい」習慣である、と定義することなく自明のもの。
- 「わるい」習慣について
- 「わるい」習慣とは、「よい」習慣と相対するもの
- 「わるい」習慣は、衝動的に行われる
- 「わるい」習慣は、承認も必要としない
- 「わるい」習慣は、快感がある
- ユングの意識は、イド(衝動的)、エゴ(意識的)、スーパーエゴ(意識的であり倫理的)の3つに分かれるとされる
- イドは衝動的
- であるから、衝動的に行われる「わるい」習慣とは、イドに属するものともとれる
- 「よい」習慣とは、衝動的には行わない
- 「よい」習慣とは、また倫理的で意識的だ
- だから、「よい」習慣とは、スーパーエゴに属しているともとれる
- 子供が「歯を磨く」習慣は、「よい」習慣
- 子供が「歯を磨く」習慣は、「よい」習慣ではあるが、根付きやすい。
- なぜ?
- それは、母親(もしくは父親)にほめられるから。母親が、スーパーエゴのモデルとして動くために、スーパーエゴに属する習慣としても根付く
- ここで、スーパーエゴ≒母親、という公式が成り立つ
- しかし、成長するにつれて、ほめられたいと思って動いたがほめられなかった、などにより、みたされない記憶が形成され、公式が成立しなくなる
- この公式が成立しなくなるあたりに、母親へのイメージが二つに分かれる。つまり、ホワイティ母親(ほめてくれた母親(イメージ天使))、とブラック母親(ほめてくれなかった母親(イメージ親))のイメージ二つ
- 子供はここで、とまどう。好きなホワイティ母親と、好きじゃないブラック母親がいるから
- この分断により、ホワイティ母親が出てきても、騙されまいと子供は抵抗を試みる。その裏にはブラック母親がいるから(そもそもブラックはブラックなので裏切らない)
- 途中から、ホワイティ母親とブラック母親を同じ親でみなすのは難しくなる。
- いやな部分を意識しすぎることで、結果、よい印象のホワイティ親の方に、もう片方の親が当てはめられる(今回はホワイティ父親となる)
- 実際に反抗する対象は、ホワイティ父親。なぜなら、その後裏切るのはホワイティな親の方で、そのホワイティな親には騙されないぞ、と思って反抗する #ここは非常に面白い部分
- この一連の対応がイドという意識になるのでは???
- そして、スーパーエゴとは、イドから分離された「良い」イメージだけなのでは???
- 戻って、「よい」習慣とはスーパーエゴによる褒めあるいは承認が必要と思われる習慣
- 子供の頃の定義づけでは「親から褒められる(承認)」が必要となる
- しかし、大人になるにつれて、上記のようなモデルの分断などにより、親=スーパーエゴのモデル、が成り立たなくなる
- したがって、大人になるにつれて、自分を承認してくれるものが少なくなる
- そのため、定義づけに必要な「承認」されることが少なくなる
- そして「よい」習慣は、根付きにくくなる
- しかし、「わるい」習慣は、いつも根付きやすい
- 「よい」習慣も「わるい」習慣のように実施すれば根付くのでは?
- 「わるい」習慣は、快感をともなう
- ならば、「よい」習慣も、快感をともなえば習慣化はできるんじゃないか???
- だから、「よい」習慣を、意義や衝動などを無視して繰り返す
- そして、「よい」習慣から繰り返されることによって、快感を見つける
- 快感を見つけられれば、「よい」習慣ができるのではないだろうか???
- 早起きしつつ8時間寝る
- といった「よい」習慣が続かないのはどうしてか?
- そこには、褒めも衝動もなかったから、ではないのだろうか
佐々木さんの話の感想
ぶっちゃけ、習慣の話でまさかユングの意識話が出てくるとは思っていなかったので、ちょっとびっくりした。自分のものさしでは到底設定しない話しだったので、見え方が違ってためになった。
私の習慣化するためには何が必要かの結論(話を聞く前)
ひとまずこの会の前に、自分なりに習慣化するには、について一つの結論を考えていた。
習慣化するためには、総合的に見て、メリットがあること
というのがあって、人の話を聞くにせよ、とにかくメリットが必要だ、というのが最低条件だと思っていた。
私の習慣化するためには何が必要かの結論(話を聞いた後)
なんだけど、今回話を聞いて、もうちょっと範囲が狭いな、と思った。 範囲というのは、この場合「メリット」について。
習慣化するためには、総合的に見て、物理的なメリットがあること
佐々木さんの話は、「よい」習慣と「わるい」習慣が、精神的な判断基準によって自然と分けられていて、それゆえ「よい」習慣というのは、精神的な何がしかが必要でないと根付かないのではないかといっていた。
しかしながら、「よい」習慣を続けていたはずの北さんが、習慣化をしていたにも関らず、崩壊してしまったことからもみて、そういう「精神的な」何がしかだけでは「よい」習慣を根付くことは難しいことがわかる。
そのため、「わるい」習慣がなぜ起こるかを考えてた結果の「快感」が根付くためには必要ではないか、というのが佐々木さんの談である。
私は、その「快感」は「快感」でも、物理的――ここでは、精神的と相反する、身体が享受できるという意味での「快感」という「メリット」が必要なのではないか、と思うに至った。
つまるところ、精神的世界において、その習慣が「よい」にせよ「わるい」にせよ、物理的身体的な何等かのメリットが必要ということだ。精神的世界にエネルギーを費やして習慣化した場合、多忙やエネルギー不足などにより、精神的世界にエネルギーを費やさないと、継続が不可能になる。
じゃあ、なんで「よい」習慣のはずの歯磨きが、大人になっても継続しうる習慣になるのだろうか。
最初、歯を磨くというのは「よい」習慣と、佐々木さんの中では定義されていた。
確かに、それは「親に褒められる」ということで根付くという意味では「よい」習慣ではあった。
しかし、その習慣は、途中から歯を虫歯から防ぐのに気持ちよくなれる、という意味での物理的な「快感」もしくは「メリット」をともなった習慣に変化していくのではないだろうか。
それゆえ、途中一日習慣に歯抜けが起きても、それにかまうことなく、次の日にはまた習慣を再開できるのではないだろうか。
以上が、今回参加しての思い至ったことであった。
その他
それ以外に聞いて私がよかったことなど。
タスクシュートは計画通りに実行するのに気持ちがいい人がするツール。でも、実際にその通りに実行できるというわけではない
タスクツールときいたら、とりあえず実行する。のだが、シゴタノの大橋さんが編み出したタスクシュートだけは頑なに取り入れようとしなかった。
どうしてかはわかんなかったのだが、そもそもタスクシュートが一番理想的だと思っている状態が、一番私には実現が難しい状態だということがわかったので、安心してやっぱりタスクシュートは合わないだろうというのが納得できたのであった。
私はとにかく、時間通りに実行することに、どうしても抵抗感を抱いてしまう。だから、なるほどタスクシュートはついつい拒否していたんだなーと感心した。
ちなみに私がこの時間通りにしたくないと抵抗を試みるのが、丁度イド形成による親との関係が大きく関っているのであった。こういう精神的抵抗がどこで発生するかは、「イド」とか「スーパーエゴ」形成が因るんではないだろか。
GTDについてあれこれ話せた!
久々GTDについて思いきり話すことができた! ていうか、自分ホントGTD好きだよな。
そして、自分がどうしてGTDを中心ブログをやっていたのかをまざまざと理解した。GTDで気になることについて、誰も答えていなかったからだ。
GTDの5つのステップはなぜその順番が必要なのか、ワークプロセスは、なぜあの順番でなければいけないのか、といった突っ込んだ話は、誰もしていなかった。それで、自分なりに回答してブログに記載していたんだった。
ある程度の疑問は自分なりに解釈の決着はついている。整合性は取れているので、解釈を上書きすることは今のところ、そんなにはない。
話をしていた中で気になったことについてはまた別の記事にて記載したいな。