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【観劇】鶴屋南北の歌舞伎狂言「盟三五大切」は、えげつない構成だった

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 この前、友人に誘われて歌舞伎に行って来た。夏の納涼祭といって、今回の演目は鶴屋南北の歌舞伎狂言「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」が公演された。見たけどさすがの鶴屋先生、人間のクズっぷりとヴァイオレンスな血みどろだったわ的な内容でござんした。つーか、怪談的な涼しさは全くなく、にんげんこわい~の涼しさ的な納涼であった。

 

 歌舞伎や狂言は、前回見たときのことを思い出し、あらすじをある程度勉強してから見るようにした。というのも、狂言とかの設定って、人が多い、話が込み入っているという内容柄、一見で内容を理解するのがキツいからだ。

 「盟三五大切」も同様で、正直見る前にある程度あらすじを入れておかないと、誰がどれやらでといった感じになった。だいたい主要人物が、こいつはAなんだけど実はB、という設定ばっかりで、その時点で初見殺しである。特にこの「盟三五大切」は、後から調べるだに、「書替狂言」と「綯交ぜ」とを組み合わせた内容で、見る側の知識量を試す内容でもあった。

 

 今回は、「盟三五大切」の話の構成って、いい意味でえげつないっていう話を紹介したい。まず最初に、構成として欠かせない「書替狂言」と「綯交ぜ」について説明しよう。

  

「書替狂言」としての「盟三五大切」

 狂言には「書替狂言」という評判となった先行作の大枠を残しながら、人物の役名やストーリー展開の一部を書き換えるという手法がある。

 「盟三五大切」は、その「書替狂言」の手法も取りいれており、並木五瓶の「五大力恋緘(ごだいりき こいのふうじめ)」の書替狂言であった。

「綯交ぜ」としての「盟三五大切」

 鶴屋南北のえげつない所は、更にここにかぶせてくる点だ。

 狂言は、源義経といった馴染みある伝説だったり文学作品だったりから成り立つ。この土台となるものを「世界」と呼んでいる。例えば、今回見た「盟三五大切」は「五大力恋緘」の「五大力の世界」を土台としている。

 ところが、その「世界」を複数取りいれる手法もあって、鶴屋南北の得意技だったらしい。「盟三五大切」には、「五大力恋緘」の「五大力の世界」に「仮名手本忠臣蔵」の「忠臣蔵の世界」を入れ込んでいる。

 また、「盟三五大切」は南北が書いた「東海道四谷怪談」の続編としての意味合いもある。「東海道四谷怪談」自体、「仮名手本忠臣蔵」の外伝として書かれており、「東海道四谷怪談」は「忠臣蔵の世界」がベースとなっている。

 

 そんなわけで、「盟三五大切」の立ち位置は、「五大力恋緘」の「書替狂言」であり、「東海道四谷怪談」の続編で後日譚であり、「仮名手本忠臣蔵」の外伝であるという、3作品を題材に含んだ、入り組んだ世界なのである。

 

 この3つの世界をよどみなく組み込ませた点は本当にうまいというしかない。

 

ざっくりとしてないあらすじ

 ざっくりとしたあらすじを書こうと試みはしたんだけど、前提条件多いし、Aだけど実はBとか多すぎるし、登場人物3人のあらましだけでもwikipediaからひっぱってきてこうも長くなるのだ。

 

薩摩源五兵衛、実は不破数右衛門塩冶浪人

不破数右衛門は御用金百両を盗賊に盗まれるという落度で主家を追われたが、そのさなか塩冶判官の刃傷沙汰による主家お取潰しが起こり、何とか百両を調達して仇討ちの一味に加わろうと、薩摩源五兵衛と名を変えて金策している。

芸者妲妃の小万、実は神谷召使お六

神谷の家人の娘であるお六は、父に勘当された三五郎と夫婦となり、三五郎の勘当を解いてもらうため、百両の金子を調達するために、芸者をしている。自分に惚れている源五兵衛から金を貢がせようとしている。

船頭笹野屋三五郎、実は徳右衛門倅千太郎、小万の旦那

徳右衛門倅千太郎は、身持ちが悪く、徳右衛門から勘当を受け船頭笹野屋三五郎となっていたが、父から旧主のために百両の金子の用立てを頼まれた。これによって勘当を解いてもらおうと、女房お六を小万と名乗る深川芸者をさせて、百両の調達しようとしている。父の旧主の不破数右衛門が源五兵衛とは知らずに、小万を惚れさせて金を巻き上げようとしている。

 とりあえず覚えてほしいのは、主人公が以下二人にお金をだまし取られて怒って、小万を殺して、三五郎は切腹死させた、という結果だ。

 

いかにお約束を含ませるか

 世界を組み込ませた部分では、構成の中でどれぐらいお約束を含ませるかが、面白みのポイントだ。水戸黄門だったら「この印籠が目に入らぬか!」という台詞がなかったら締まりがないのと同様に、必ず組み込んでほしいような項目だ。

 「五大力恋緘」からは、例えば以下のようなお約束があって作中に含まれた。

  • 「五大力」から「三五大切」に書き換え
  • 主人公が、五人を皆殺し
  • 主人公が、殺した小万の頭を持っていって一緒にご飯を食べる

 「東海道四谷怪談」からは以下のようなお約束を含んだ。

  • 幽霊が出る

 そんでもって、「仮名手本忠臣蔵」からは次のような項目がお約束として組み込まれているかなーと思う。

  • 勘平の、間違って味方を殺めて、そこからくすねた金が味方の首をしめる要因からの切腹
  • 打倒吉良の、隠れていた所を頃して首のお供え

 特に忠臣蔵というと、切腹シーンがないと忠臣蔵じゃないよね!というぐらい、切腹シーンはお約束の一つだろう。

 

主人公が不破数右衛門が薩摩源五兵衛に身をやつして浪人だという設定

 この主人公の設定自体が本当にうまいと思う。

 不破数右衛門というのは、忠臣蔵の世界だと、赤穂浪士の一人にあたる。その一方で、身をやつした方の薩摩源五兵衛は、五大力恋緘の主人公の名前でもあり、二つの世界がちゃんと綯交ぜになっている。

 じゃあ、忠臣蔵では47人のうち不破数右衛門なんだ?と思ったんだけど、どうもwikipediaによれば、不破数右衛門は、47人の中で唯一浪人から義士の仲間入りができたという。だから、今回の浪人という設定には、不破数右衛門しかありえない。

 しかも、不破数右衛門は、義士の中でも最も活躍した、つまりもっとも人を切りとめたともいう。作中にあった五人切りは、「五大力恋緘」のお約束ではあるのだが、皮肉にも史実ともかぶってくるあたり、絶妙である。

小万の首

 小万は、主人公数右衛門をだました芸者なんだけど、数右衛門は小万を殺すと、その首を家に持って帰って一緒に飯を食うというなかなかなエピソードがある。この首持ち帰り自体もやはり「五大力恋緘」にあったエピソード。面白いことに、忠臣蔵だと、最後に仇である高武蔵守師直を首を掻き切り、位牌にその首を手向けるというシーンがある。なんとなく似てるんだよね。

 ところで、本来の劇内容では、数右衛門が飯を一緒に食べている間にかっとなって、首に飯をぶちまける。このエピソードは、「五大力恋緘」にはなくて、「盟三五大切」で追加されている。

 この飯ぶっかけ、どうして入れたんだろうかと思った。

 私が思うに、忠臣蔵では仇に当たるのに、一緒に飯を食うのは合ってない、それに敵討としてはこの時点ではまだ小万の夫三五郎はまだ生きているから、その点からみても、完全な敵討ちとしては不完全。だから、「これで終わっていいわけないだろ!」という意味合いも含めて、飯をぶちまけたんじゃないのかなぁと思った。

 それというのも、この後の三五郎の終わりがうさんくさいからだ。

 

よもやしそうにない三五郎がまさかの切腹死

 三五郎の最期は、本人が切腹死する。これが、三五郎の性格から考えると切腹するタイプには到底見えない。三五郎が金策していた理由だった家からの絶縁は、もともと身持ちが悪かったからだ。しかも金策についても、結局自分の女に金を作らせるという、身持ちの悪さを体現したような輩である。

 なのに、最後の最後になって、責任を感じて切腹するなんて、そんな忠義、どこに隠し持ってたの?!という有様だ。実際、ベースとなる「五大力恋緘」では三五郎切腹はしていないし、格闘の末討伐されるわけだし。となると、三五郎の切腹は、性格に目をつぶってもやるしかない、ということになる。

 そこで、切腹自体は、忠臣蔵の世界から必要になったんだろうなと想像できるだろう。

 

 というか、忠臣蔵=切腹、というイメージが私にもあって、やっぱ忠臣蔵だというには、切腹をどこかで入れないと締まりないよねー、と思う。

 

組み込まれた「仮名手本忠臣蔵」

 じゃあ、切腹があれば忠臣蔵なのか、というと、そこはさすが南北、ちゃんと忠臣蔵の話の構成を組み込んできている。

 三五郎の、工面したお金が本来助けるべき人間の首を絞める行為だった、というのは忠臣蔵に出てくる早の勘平の話の構造でもある。「盟三五大切」のここらへんの話の作りは、最後に切腹シーンを入れたことからも、忠臣蔵の話を取り入れているのは明白だ(早の勘平は切腹死するので)。

 また、「五大力恋緘」では夫婦ではなかったのに「盟三五大切」では最初から夫婦仲の三五郎/小万と数右衛門の関係は、「仮名手本忠臣蔵」での、塩冶判官高定の妻に横恋慕する高武蔵守師直との関係にも似ていて、そうするとこちらの関係から言えば、三五郎は、塩冶判官高定とも見てとれるわけである。

 さらに言えば、「仮名手本忠臣蔵」のラスボス高武蔵守師直は、隠れていた所をひっぱりだして殺された。一応三五郎が全体の話の立ち居としてはラスボスになるのだけれども、一応樽に隠れているんだよね。切腹したとはいえ、最終的には死んだわけで、三五郎=高武蔵守師直というのは、それっぽく見えるっちゃあ見える。

 

 見ようによっては、三五郎の死は、「仮名手本忠臣蔵」の三つの死のいずれにも似た部分を感じることができる。ま、見ようによってはね。

 

南北のそれっぽく見せるうまさ

 とまあ、これらが本当に相関関係にあるかどうかは、すべて憶測である。んだけど、まぁとにかくこういう混ぜたというか重ね合わせた構成を作るの、本当にうまいなと感心した。

 どこまで類似性を見出すかは、見る側にゆだねられているとはいえ、まさかね、二つの話の構成を重ね合わせてちゃんとした話にできてるのって、えげつないよね。

 

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