works4Life

GTDメインのタスク管理と生息してますログを記載しています。

【雑記】下書きがあふれかえっている

 今年はなるたけアウトプットしていこ!

 

 ということで、いつも以上によくはてなブログの管理画面にアクセスしている。ふと見直してみると、ブログ、下書きは書いているではないか。毎回書き始めてはこう、あとで仕上げようと思っているうちに、出すタイミングを逸してそのまま放置というパターンに陥っている。

 どんぐらいあるんだろうと数えてみると、80記事はかたい。。どんだけ放置しとんねん昔の私よ。記事の内容も見ていると、そうそうこのこと書きたかったんよね、というのばかりちらほらあって、内容を見直して出していく所存である。

 

 ついこの前出した記事は、最初の記入から言えばそれこそ2010年の熟成ものにあたる。

 それは何とはなしに出しにくくて、けれども出したくないわけではないと思っているうちに、今まで経ってしまった。

 自分の中にある考え方の方針は、簡単に言うことはできるけれども、伝えて実感として持ってもらうのは難しい。相手にその需要があってうっすらとここほれわんわんと言っているのを感じとり、素知らぬふりをして穴を掘るように、言葉を伝えておく。そのうち、うまいこと行けばその穴ができて言葉が転がって、実感できるようになるだろう。という目論見があったのは覚えている。

 しかしながらこの文章はさらにその前段階で伝えることに対して躊躇しており、すごくまどろっこしい書き方をしているのであった。さらに言えば、そうやって対策を取りつつも、外に出すことすら躊躇していて10年… 今となっては私はどうして躊躇していたのかがわからなくなってしまっている。

 反対に、こだわりがなくなった分、出すのに躊躇はなくなり出したのだった。他に言いたいことがあって、そう言えば昔あんなことを書いたわね、確か出てたよな〜と思って過去記事を探したのが思い出した始まりだった。実際はまだ出してなくて、下書きに埋もれていた。

 

 先の記事は何に対して躊躇していたのか。今見たらこんなにまどろっこしい文章が、真芯をとらえることなど早々にないだろうに。

 

 おそらくは、読み手の反応にためらっていたのは分かる。一方最近の私は、読み手の反応や期待についても変わってきた。

 最初は必ず相手の感情を振るわせたい、動かしたい、そしてできれば行動に移させたい、という気持ちが強かった。むしろそうせしめなくては、書く意味などないに等しいと思っていた節もある。

 しかしながら、GTDを説明する機会が多くある内に、そんな風にダイレクトに影響が出られるのは、どんな媒体においても稀有な反応であることがわかってきた。それは、自分自身に原因があるのではなく、受け取った相手にも受け入れる状況があってこそなのだ、と。

 

 最近言っておきたいことといえば、洋画ドラマの「フリンジ」からの「かぐや様は告らせたい」の衝撃から、オブラディン号よかったよね最近グロ耐性増えたんじゃない?とか、ミッドサマーの感想だいたい書き終わってるのに出してなかったの?!とか記事によってはほとんど書き終わっていて画像もはってあるし(ここが結構難関)、どうして公開しなかったんだろうと思う記事もある。

 ちみちみ出していくので適当に読んでってください。