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或る日記――阿久悠の場合

ただ、自惚れたいい方をするなら、あのとき僕が書き続けていれば、今こんなに歌が痩せずにすんだのではないかとも思います。

――「日記力―『日記』を書く生活のすすめ」より

小学校に入るか入らないかの時分、私は「UFO」がとても大好きで、自分でレコードをかけては、居間の中で踊りくるっていた。「UFO」という曲は、幼少の頃から私を惹きつけてやまなかった。その作詞をしたのが、かの有名な阿久悠だ。阿久悠が生涯で作詞した曲数は5000曲にも及ぶ。多作で、そしてヒットの率も半端なかった。

多作だからヒットが多かったのか、それともヒットが多いから多作になったのか――今となっては鶏が先か卵が先か、他愛のない話になろう。私が阿久悠で一番驚嘆するのは、何よりその作詞する視点だった。UFOで言うなら、あんなにトリッキーで魅力的な作詞をどうやったら思いつくのだろうか。アイドルから演歌、そしてアニメのオープニング・エンディングにまで、ありとあらゆる作詞あるところに、阿久悠はひょっこり顔を出す。

そんな彼が日記を書いていたのだという。

 

阿久悠の魅力

「花だと思っていたら木だったんだね」というのが、手塚治虫さんであったり、石ノ森正太郎さんであったり、僕であったりするわけですね。

――「日記力―『日記』を書く生活のすすめ」より

私が阿久悠がひきつけてやまないのは、5000曲も書いた、という実績もさることながら、その詞の中で選ぶ言葉のうまさだろう。すべてを語らずに、要所だけは締めて、それ以外のイメージは聴き手に解放している。しいていうなら、抽象と具体の合間にたたずみながらも、自分の言いたいことだけは通すその意志の強さが、詞の中から感じるのだ。

「UFO」だって字数だけなら数少ない。けれども必要な情報は理解させ、なおかつそこに物語的な時間的経過も含まれている。「飲みたくなったらお酒、眠たくなったらベッド」、エピソードは単純だ。なのに比較対象は地球の男とそれ以外だ。突飛すぎてありえん、などと思いながらも、「それでもいいわ」と思ってしまう。

そんな、複合的な要素を持ち合わせた強烈な詞を作る阿久悠は、どんな人間なのか、またどんな風に物事を考えていたのかと、常々関心を寄せていた。

私が耳にした阿久悠のエピソードには、かなりしびれる内容が含まれている。たとえば、どこかで阿久悠はこんなことを言ったのだという。

「みんなは、一家団欒とかそんなものを自分の家にいて詞にできるでしょう。僕はそれを別の場所から眺めて詞にすることができる」

とかなんとか。なんとまぁ客観的な視点を持ちあわせ、それを魅力的な比喩で説明するのか。確かに阿久悠は、作詞することを通じて、日本中を翻弄させ、そして時代を作った人間だろう。その人間が、一番静的であるのが私には魅力的に見え、そして、不思議にも思った。

 

父の背中

今の世の中は、情報という言葉にみんなが騙されている時代です。

――「日記力―『日記』を書く生活のすすめ」より

阿久悠の冷ややかな視点はどこから培われたのかは、本中でかいま見ることができよう。彼の思想形成には、一つに病弱であったこと、一つに終戦を体験したことが大きく関与している。

阿久悠は病弱で、長くは生きられないんじゃないか、と医者からも言われていた。それで、物静かに動くようにもなった。病院で生活することも多く、他者を観察することが多くなったという。それだけなら彼がここまでに、人がどのように動くかまでは気にならなかっただろう。大きく左右したのが、終戦だった。

それまでは打倒米国だったのが、戦後では、手のひらを返したかのように、アメリカにすりよる様を、阿久悠少年には子供なりにも驚愕の出来事に映った。まわりの同年代が「ギブミーチョコレート!」とはやし立てて米兵からチョコレートやガムをもらう一方、阿久悠少年は、頑なまでにもらうことをしなかった。

彼の思想形成には、もう一つ大きな要因があった。父親である。

 

阿久悠の父親は、警察官だった。駐在所に勤務していて、ものすごくこれ以上のなく真面目な父親であった。警察官の鏡とも言うべきような振る舞いをしていて、周りから「そこまでしなくても」と言われるぐらいだった。けれども父親はそれをしなかった。「警察官も人間だから」と言えばそれまでだが、それを認めてしまえば警察官の意味がなくなると、阿久悠の父親はそう言って、警察官であること、生真面目な職業人を全うした。

阿久悠少年にその父の姿が影響を与えないわけはなかった。阿久悠少年が、ガムやチョコレートをもらわなかったのは、彼なりの信念を通した結果なのかもしれない。

信念のある筋の通った父の姿と、一方で手の平を返したかのように心変わりした自分と同じ年代だった子供達の姿。この両極端な心の変容が、阿久悠少年が人に大きく興味を持たせたのだろう。

 

阿久悠の日記

これは僕の歴史ではなく、日本という国が何を気にして「今日はいい日だね」という表現の挨拶を交わしているのか、ということを記録しているわけです。

――「日記力―『日記』を書く生活のすすめ」より

しかし阿久悠の日記はある人の機微を追いかけるわけではなかった。その時期での共通した感覚、つまり彼の言うところの「時代」を読もうとしていた。その読んだ具体的結果として、日記にはその日その日に起こったニュースが記述された。

阿久悠の日記は、思った以上に完璧だった。阿久悠の、ほぼ日手帳のような一日一枚の日記は、その日に彼が気づいたニュースなどを収集し、その日の午後十一時頃になると、自分で編集会議をして、そのニュースの中から五つ選んだ。それを、日記にしたためるというものだった。さながら自分で新聞を作っているようにも見える。

内容は、自分ごとは一切書かない。アンチ感傷日記として日記は始まった。これを入院してなお毎日ほぼ欠かさずしていたというのだから空恐ろしい。

 

「今日はいい天気ですね」と一言とっても、その時代によって何を指しているのかは異なる。天気はどんな風か、あるいは経済状況を指し示す株価はどうか。株価を気にする人なら、その株価状況すら、「いい天気」という言葉が影響される。彼はその言葉の現れでる子細や背景に視点をあて、その時代を読もうとしていた。

そして、その時代を読み、消えゆくものにスポットを当てて、誰かの居間から静かに中継して詞として紡いだ。

ひどく他人事ではなく自分のことではないとはいいがたく、さりとて曖昧すぎず、思い当たるふしはあるような、人の中にある柔らかい感情に、スポットを当てる。阿久悠の詞は、そんな風に、私にはみえる。

 

自分の日記

時代の風を読むということは、そのとき流行っているものをとらえるということではないんです。
むしろ、その逆で、今は人気がないけど、それは大事なことではないか、耳をすませばその声が聞こえてくるのではないか、ということのほうを大切にするべきです。

――「日記力―『日記』を書く生活のすすめ」より

当然のことだが、もちろん自分は阿久悠ではない。この日記の話を読んだ時、まっさきに考えてみたのは、自分もこのように実行してみよう! と思ったことだった。

しかしそれはやめた。

自分は阿久悠ではない。彼は時代を読むために、みんなが影響を受けたであろう、天候や株価、そしてニュースを編集して、自分なりの新聞のような日記を作っていた。

私は時代を読むためが今の目的ではない。一般的傾向と微妙に異なるように映った私自身をとらえるために、私が何らかの事象に出会った時、どのように反応するのかを見るために、私自身の感情に注意を払っている。

彼のような日記ではそれをうまく拾うことはできないし、何より読みとることができない。だから今はやめた。

 

興味は人によって違う。時代を読むのに興味のある人間もいれば、自分の感情に興味がある人間もいる。また別の興味の視点がある人間もいるだろう。その興味は別に誰かに強制されるものではない。視点も変わるのだから、日記の内容や書き方が変わるのは、自然な成り行きだ。

この本では、阿久悠が時代を読むために採った方法の一部が紹介された。私のように採り入れなくてもいいし、もちろん採り入れたってもいいだろう。ただ、肝に銘じておくべきことがある。

自分は、何のために、どんな方法をとっていくべきだろうか。

 

日記にみる阿久悠

たとえば、僕は、初めて東京都庁に行ったときに「まあ、こんな悪の帝国みたいな建物によくいますね」といって、嫌な顔をされたことがあります。

――「日記力―『日記』を書く生活のすすめ」より

この本から見える阿久悠は、なんとも味わいのある魅力的な人物だった。ひょうひょうとした文章で語ったり、そして時たま結構なシニカルさを持ち合わせて書いたり、昔のあられもない自分の姿を静かに話したりする様は、とても自然だった。

阿久悠の言葉にはいつも風が舞っている風だ。雰囲気がある。巧みである。素敵だ。この語りぐさを味わうだけでも、この本は十分に酔いしれることができる。

確かにこの本は阿久悠の日記の本ではある。けれども、阿久悠を知ろうとしなくたって、日記なんて知ろうとしなくたって、それでもいいわ。

 

日記力―『日記』を書く生活のすすめ
阿久 悠
講談社 ( 2003-06 )
ISBN: 9784062722018
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