金曜日はなんでも振り返りデー。今日はタスク管理で使っているDoit.imとのお付き合いについて思い直す。
なんか、最近うまくいってないよね、僕たち(Doit.im and Me!)
1年間プロアカウント登録したDoit.imだが、現在の関係はというとあまりうまくいってない。なぜいつもこうも私はタスク管理ツールと相性が悪いんだろうというか相性良かったツールがあったらここまでジプシーしてないよな、という現状に思い至ること毎回しきりである。
さてそんなDoit.imであるが、最近はiPhone6sに切り替え、その画面のサイズとパフォーマンスのよさによく使うようになった(前年度比)。これで起動する問題は解消できた。しかしである。その後うまく全部動いているかというと残念ながらそうではない。
なぜだろう。
というなぜを今回は見直していきたい。
すぐに破綻したプランとレビュー
すぐに破綻をきたし始めたのがプランとレビューである。Doit.imではプランのプロセスとレビューのプロセスがある。
プランは、今日やるタスクで見積もりを行い、これぐらいで作業ができますよー!というのを明確化してくれるすばらしい機能であった。実行するタスクがかなりクリアである、という条件付で。
プロセス自体が明瞭でない場合、このプランは途中から破綻する。特にタスク自体は、個人的に思うにその1日で完了できることを想定して定義することがあるため、いや、そこまで分断するほどじゃねーよ、ていうタスクだといつまでも延期されてて、終わった感ができない。だから、このプランという機能は、見積もったその日のタスクが今日で終わることを想定して作ったタスクでありさえすれば、非常に明快な機能であるのだが、実際そんなクリアなタスクが作れる場合があるかっつーとそうではない。
というわけで、早々に私はプランをまじめに使うのを諦めてしまった。
レビューは同じく、プランで今日やると決めたタスクについてどうだった?と心優しくきいてくれるプロセスである。これで、途中完了チェックを忘れていたタスクも今日中には完了できる。そしてその完了タスクは、別のビューでいつ完了したかを見せてくれるわけである。
しかしレビューの大前提は、上記で説明したプラン等で今日やるリストを見積もった場合においてであり、プランとレビューは二つでセットの機能といっても過言ではない。
プランがうまくいかなくなると、レビューもまぁそううまくはいかない。
それもこれもタスクの定義が1日で終わらなかったり、曖昧なせい
なぜこのプランとレビューがうまくいかないかと考えると、よーするに、タスクの定義がいまいちだという結論に至る。
タスクの完了条件がめいかくでなかったりすると、まだ終わってない(と思う)、まだ終わってない(と思う)という90%から完了になるまで無限ループを繰り返すことになる。うひー。
なら、クリアなタスクを定義しよう!という理想を掲げるが実際現場はそう毎回うまくいくわけでないのだよ。だから、クリアじゃないタスクとクリアなタスクが混在しつつも、タスク管理の中でどうやって折り合いをつけていくのかが問題になる。
そう、Doit.imが悪いんじゃない、私のタスクの設定が曖昧なせい!って私のせいか。
さ、さて、次に考えるべきは、曖昧なタスクをいかにクリアにしていくか、である。
タスクをクリアにするということはサブタスクが増えて、そしてプロジェクトに転化することである
そこでDoit.imの特筆すべき機能の「プロジェクト転化」が活きてくるわけだ。
「プロジェクト転化」とは、タスクをプロジェクトに転化する機能である。Doit.imにはタスクにサブタスクをつけることができる。それを、タスクはプロジェクトに、サブタスクはそのプロジェクトのタスクに変換することができる。
なーんだ、一日で終わらなかったタスクはこれでやればいいんじゃん!
これで曖昧なタスクもクリアにできるようになる。これにて一件落着!!
してないんだ、これが。
こうしたところで私はまだ納得いっていない。タスクをプロジェクト転化して作業完了になったところで「これこれこういう作業をやって、目的を達成しました!」という認識は生まれないからだ。
木を見て森を忘れるというか、終わった感がないんだよ。もしかすると、それを包括するのが本来は「目標」の方なんだろうかと思い始めている
そもそも最初からプロジェクトを作る行為は合っていないのかもしれない
今改めてDoit.imの利用方法について振り返っているが、どうにも私は、プロジェクトを目標として取り扱ってきたように感じている。それがなんだかおかしな感じにしているような気がしている。
プロジェクトは、ただ連続したタスクを実行しないと完了できないタスク群名なのだが、従来の世界での「プロジェクト」という名称の使われ方から、あたかも目標を達成するようなもののように思われているのではないかと思う。
上記を加味して、ちょっと使い方を見直していこう。