桜井章一と言えば、雀鬼と呼ばれる雀士だ。渋い、かっこいい! 「R-style ≫ 書評 「マイナー力」(桜井章一)」で見かけて気になって読んでみたところ、身につまされることがいっぱいあった。以下に気になった文章を抜粋した。
精神と身体のバランス
そういう意味では、「知」と「行動」のバランスを取ることがとても大切です。「知」だけが肥大化して、「行動」が伴わずにバランスが崩れると、ウツ病などの心の病になりかねません。
via 「マイナー力」 P33
行動をするとそれに伴うフィードバックが起こる。身体の行動は、その刺激と反応のサイクルは割と守られてるんだけど、精神の場合はこのバランスが崩れやすい。そうすると、フィードバックのない精神世界は、現実とますます解離してしまい、自分のみぞ知る世界となってしまう。もしくは、行動の多い世界にまみれてしまうと、それに対応しきれずに、自分の世界が崩壊してしまう。
好きな言葉、嫌いな言葉
ところで、私は麻雀を打ったり仕事をしたりするとき、努力をしている感覚は一つもありません。私は努力という感覚が嫌いです。
私にとって「努力」は、あくまで「工夫」なのです。何事も工夫だと思えば、「努力している」という重いは消えて楽になる。「努力、努力」なんて思っていると自分自身が辛い師、その辛さから「私は努力しているんだ」と人に訴えた句なるかもしれません。
しかし、努力を工夫に変えると面白さが入ってくるから、努力すらも楽しみになってくる。「努力することを楽しみなさい」ということではなく「努力を工夫にしちゃえば楽しみになる」ということです。
via 「マイナー力」 P41
人によって好きな言葉嫌いな言葉がある。馴染むというか馴染まないというか。私は「努力」という言葉は半々。ただ、努力という言葉を使っている場合は、私の場合、無理をしている状況ではある。
表現と内省
外に向かって広げることばかりを考えるのがメジャー感覚だとすれば、四里四方の中で生きようとすることはマイナー感覚でしょう。しかし、今はグローバルなどと言って、あまりにも外に向かって広がり過ぎていると思います。だからこそ、なおのこと四里四方という感覚は重要な意味合いを持ってくるのです。
via 「マイナー力」 P47
広げれば広げる程、薄まっていく。
グローバルとローカルとの付き合い
肝心なのは、自分の中に無意識のうちに形成された常識を疑ってみるということ。そうやって常識をふるいにかけ、非常識との狭間でうまくやっていくことです。
常識と非常識の狭間で揺れながらやっていくからこそ、人生は面白いのです。それこそが自分で考えて責任を取り、自分自身の足で立つという「生き様」になります。
via 「マイナー力」 P58
やったもん勝ち。
結びついてるものをばらけると力は弱まる
なぜならテクニックと引き換えに、もっと大切なものを失ってしまうような気がするからです。
その大切なものとは「自分」。テクニックを身につけることで、かえって自分というものを素直に表現できなくなるような気がするのです。自分が感じることや思うことを、自然に出せればそれでいいのです。
この感覚が、「ありのままに生きていられる」ということです。ありのままに生きるということは「自分を捨てないこと」、そして「自分を占いこと」。テクニックや力に頼らず、等身大の自分をさらけ出す生き方こそがマイナー感覚です。
via 「マイナー力」 P64
あるプロゴルファーが詳細なゴルフの解説本を書いたそうな。書き終わった後、ゴルフが下手になったのだという。とは言え、テクニックの話は、それはもとから感覚があるものに対して言えることであって、やっぱり全く素養のない場所では、そういったテクニックから吸収していく必要はある。
最終的には、そういったものを超える必要はあるけれど。
確証のない世界
「愛」や「お金」「宗教」「出世」「学問」など、「他」に求める「確証という名の依存の種」は、さまざまなところに転がっています。しかし、そんなもので確証を得た気になっても、それは一時の気休めにすぎません。
(中略)
安全や安心をやたら求めるメジャーな社会風潮からすると、人生に確証がないという事実は耐え難いことかもしれません。しかし、確証がないということは、それだけ人は自由だということでもあるのです。
via 「マイナー力」 P75
確証がないなんてすっかり忘れてしまっていた。それはネットの世界でも同じだったのに。
平等という幻想の前提
当たり前のことですが、人間は平等に生まれてきません。今の教育はすべてにおいて誰しもが平等であることを前提に、「努力や練習によって誰もが望むことを手に入れられる」というようなことを教えます。でも、そんなウソを教えられるから、みなさんは悩んでしまう。
私たちは持って生まれた容姿も違えば、持って生まれた能力も違う。だから人によってできることとできないことがあるのは当たり前です。与えられた自分の状況の中で、自分なりの人生を切り拓いていかなくてはいけないのです。
via 「マイナー力」 P81
確証のない世界
なんだかネットの世界は確証があるように見えていた。例えば、モノやコトがはっきりしていて、自分がそれを取り扱える量を把握することができて、きっちり対処できるのが私は好きだった。今でも好きだ。
しかし、ネットも情報量は目の前に流れるものも掌握しきれないこともある。今更それを知ったし、だからこそ、私は掌握しきれないtwitterが苦手だったんだなと気がついた。