歩くと思索しやすいのはよく言われている効果だ。私もそれについては非常に同意する。
実は、電車についても同じ効果を持ちやすかったりする。これは、私は高校・大学と通学が長かったからそうなりやすくなったもしれないが、とにかく電車に座ったらできそうなことは何でもしていた。
読書・勉強・学校の課題・寝る・などなど。
今ではpomeraを用いて書くようにしている。
歩くことによる効果はなんだろう。家に帰るとなかなかどうにもなにもできなくなる。考えることもあまりうまく回らない。
行動の制限1
歩いている間は、できることが減る。音楽を聞いたり、話したり、何か考えたり、などができる。このうち、話したりするには相手が必要で、音楽を聞くにはiPodなどの携帯機器が必要になる。相手もおらず、機器も持ってないなら、残る作業は考えるだけだ。
つまり、思考が手持ちぶさたになり、自然と行動が「考える」ということに集まってくる。
行動の制限1ー2
歩くことによって、注意量が分散される。私たちは通常、行動と思索に対してどちらも注意を払っている。一方に偏らせることは、生命上危険な行為である。なので、身体的な機能では、極端に偏った注意を払うことを避けようとする、と私は思っている。
歩くことは、極端に偏らないにしても、ある一定量の注意を行動に払うようにし向けられる。また、その行動自体は、意識的に注意する作業でもない。行動に対する注意量は飽和され、あとの注意量は、ほかの作業に割り当てられる。
自分コメント
- 時間切れ。