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「神の雫」の驚きの表現方法はあながち大げさじゃないかも

ワインがメインのマンガの「神の雫」には、そのワインの素晴らしさを物語るために、面白い表現方法がある。一滴飲むや、その味について走馬灯さながらの劇場が発生するのだ。ちなみに、私はこの表現は、漫画独自のものだと思っていて、そんなことはありえんだろうと思っていたのだけれども、あながちそうとも言い切れないような気になってきた。

私が大切にしている感覚の中に「Water!」という感覚がある。ここでいうWaterとはヘレン・ケラーが水と認識した時のあの感覚である。私たちは、ヘレン・ケラーではないけれども、大なり小なり似た感覚を経験することがあるだろう。ここでは、その感覚を言語的に定義しておくこととする。つまり、「Water!」という感覚は、ある言葉や状況の意図を、深く理解したり深く合点がいったり場合に、生じる感覚、とする。

その「Water!」という感覚であるが、私も最近経験した。友人がケーキ教室に行ってきて、ミルフィーユを作ってきた。ミルフィーユはパイ記事とクリームとが折り重なった、ちょっと食べづらいケーキである。正直友人が作ってくるまでは、ミルフィーユがどうしてそんな食べづらいケーキをしているのか、というぐらいにしかわかっていなかった。そう、本当にわかっていなかった。

友人の習っている先生は、数十年も仕事に携わっていて、その歴史も汲みながら、生徒たちに教えるのだった。ミルフィーユの授業も同様だ。ミルフィーユの意味は、千枚の葉っぱという意味があるのだとか。そしてこうも言ったという。

「ミルフィーユに、ナイフを差し出すお店がございますけれども、それは恥だと思ってほしいんですの」

先生が言うには、ナイフがいるようなミルフィーユはミルフィーユではないらしい。そもそもミルフィーユとは、フォークをケーキにいれるとサクっと入るぐらいの微妙なやわらかさを持っているんだとか。幾重に重なるパイ生地は、かたすぎず、やわらかすぎず、その按配が難しいのがミルフィーユだそうでございまする。

この話を友人から聞いて、まず思ったのは、フランス人はそんな葉っぱな状態も食べたい程の食いしん坊なのかということだった。よもや、あの千枚の葉っぱの重なったものを食べたらおいしいだろうなーとか考えなかったら、こんなけったいなケーキなんぞ考えもしなかったであろう、というのが感想だ。

そして家には、その先生の作ったケーキがあった。生徒たちには、勉強の意味もあって、先生の作ったケーキの一片を渡される。毎回私も友人がもらってくる先生のケーキを御相伴に預かっているけれども、確かにこの先生の作るケーキは、確かにうまい。今回も先生のミルフィーユがあって、それを食べさせてもらった、そして。

「Water!」だった。なんてこった! 「神の雫」みたいに映像とまではいかないけれども、情景が浮かんできたのだ。秋のさなかの公園の、地面には赤と黄色の葉っぱで覆いかぶさった様子が!! この時理解したのは、ミルフィーユは丁度地面の幾重にも重なった落ち葉のじゅうたんを口にしたいのを再現したかったものではないかということだ。

先生のケーキは、確かにそんなことを思い出すような、タルトではなく、かといってパイでもない、絶妙な合間を縫った噛み具合をしたミルフィーユだった。

まぁそんなわけで、「神の雫」の情景が流れる感動の表現も、あながち間違っちゃいないかもしれないなと思い立った次第。