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GTDメインのタスク管理と生息してますログを記載しています。

GTDでインサイドアウトの習慣を作る

インサイドアウトという習慣

インサイドアウトは7つの習慣のうち一つ目の習慣である。

自分のできることと自分のできないことを区別し、自分自身の中であれば自由であり、そしてそれを外に出力していくことである。自分が行動することでしか、外部は変わらないことを厳然として受け止める、とかそんな感じを私は持っている。

7つの習慣の本では、インサイドアウトについて説明するのにあたって、監獄の中で自分は監獄にいようが自分の意思は強制することはできない、と悟った話が出てきたりした。が、これはちょっと極端な例で、なかなかピンとこない。

見方を変えようと言っても

7つの習慣自体は私はすごくいいものだと思っている。というか、別に成功うんぬんじゃなくて、ハッピーな気持ちで生活するなら、この習慣を持っているのが強力だからだ。だけれども、初っ端のインサイドアウトの説明からして監獄の中で「自由だーーーーー!」と叫ぶような話をされても、共感はわきにくいし、そもそもそういう境地に達するにはどうしたらもいいかもよくわからない。習慣を形成するための行動が示されてないことが、7つの習慣について一番残念なところだ。

7つの習慣では、外部から受けとる刺激に対する反応は自分の自由なんだってことで、インサイドアウトの特徴を説明している。言い変えれば見方を変えよう、という行動でも説明できるのだが、正直見方を変えるのは割と難しい。よっぽどのイベントが自分にふりかからない限り、なかなか変わらない。

私は見方はそうそうには変わらなかったが、GTDをやっている時、このインサイドアウトの習慣が徐々に作られるだろうなぁ、と実感した。

そもそもインサイドアウトとは何か?

GTDのどこがインサイドアウトの習慣に寄与してるんだって? とそれを考える前に、もう一度インサイドアウトについておさらいしてみる。

わたしはわたし、あなたはあなた、カモメはカモメ――それを理解していることであり、わたしがわたし以外の何がしかに影響しむるには、行動することである、と理解しておりそのように行動している。私はそのようにインサイドアウトを理解している。

そしてそれはどのような行動の一つに表されるのかというと、私の場合、「相手に期待しない」という表現で表される。

「相手に期待しない」とは、例えば、友人に何か軽く「~するよ」といった時、必ず実行されなければならない、とは思わないようなことを示している。漠然とした状況で、「○○ちゃんは、私にこうしてくれるに違いない!」 というような根拠のない相手の行動に対する予想をしないということだ。上司が部下に「君に期待しているよ!」という期待とはまた異なる。

他の人が説明すると、また異なるかもしれないが、インサイドアウトに対して、私は上記のような認識を持っており、以下が可能な状態ならば、インサイドアウトの習慣は割とできているのではないかと思う。

  • 何か不利益なことがあってもすぐに他人のせいにしたりしない
  • 相手に期待しない(上記で説明した意味)
  • 何か希望があれば自分から行動する

GTDはもともと制御できる項目が自分の行動のみであるとことから成り立っている。GTDは、上記の3点を満たすような実行リストを作ることができる。そういう意味で、インサイドアウトの習慣形成とGTDは相性がいい、と私は思っている。勿論、GTDが必ず必要というわけではない、行動しさえすればいい。GTDは、単に行動する際の添え木として役に立つ。

GTDのどこにインサイドアウトの習慣が形成されていると感じるの?

先の見出しでは、インサイドアウトが組み込まれた行動状態がGTDのリストに組み込まれていると話した。では、GTDのリストのどこが、とりわけインサイドアウトの習慣形成に役立つのか?

例えばWaitForリスト。WaitForリストは、何か作業のうちで、他人が作業をしていて自分が手出しできないもののリストだ。完全に自分の手からは離れていて、確認する以外の作業は何もない。これは、自分のできないことのリストでもある。

例えばNextActionリスト。NextActionリストは、作業のうちで自分自身が実行できる作業だ。WaitForリストと対極的にあるリストでもある。

これらの、他人の行うことと自分の行うことを区別するリストなどによって、GTDで言うところのプロジェクトは構成される。誰かから仕事を受けとり問い合わせをしてそれを待つ、問い合わせはNextAcgtionリストにリストアップされるが、問い合わせを待つのはWaitForリストにリストアップされることだろう。このようにして、自分と自分、自分と誰かとでプロセスのキャッチボールをしながらProjectは達成されていく。

この、自分ができることとできないことを区別するのは、非常によい。誰かに作業を頼んでいることが、明確に認識できるからである。お願い・命令――どのようなリクエストの方法であっても、結局のところ、そのリクエストの達成は、リクエストした相手の行動なくして成立しない。この区別こそが、インサイドアウトの発端を感じるのだ。

インサイドアウトの習慣形成において、必ず必要となるのは、自己とそれ以外を区別し理解することだ。これを理解することに、GTDのリストが役立つのではないかと思う。自分が制御できる部分とそうでない部分のボーダーラインを、まず理解しなければならないだろう。

そして、その理解することと並行して、自分から行動することをよく習慣付けることが大切なのである。GTDのリストを起点にして実行すると、自分が何を実行したかが後から確認できる。その確認できることが重要である。自分の行動によって、結果が導かれることが証明されるからだ。これは、小さいけれど一種の成功体験である。成功体験は、必ず本人の自覚がなければ成功体験としてカウントできない。反対に言えば、本人が成功した!と思いさえすれば、何だって成功体験に組み込まれる。GTDのリストはやったことリストが、行動し、その結果どう変わったかの成功体験の必要条件を満たしてくれる。

行動を繰り返すことによって、行動した→変わった、という図式が徐々に頭の中に出来上がる。そしてゴミを捨てる、という単純な行動が、複雑な行動まで実施可能になり、大きなプロジェクトも達成できるようになる。そして最終的にこう理解する。行動することが一番速く達成することができる、と。

その望むことに対して行おうとしさえすれば、行動が成功であろうが失敗であろうが、確実に望むことに近づける。GTDで行動管理を行うと、自分が行動した結果をより実感できる。その実感こそが次の暗闇へ進むための灯火となるだろう。

自分ができることとそうでないことを区別すること、自分が行動すること――この二つはインサイドアウトの習慣には必ず必要であろう。その二つが融合し、そして最終的にはインサイドアウトの概念を形成していくのではないかと思う。それからならば、見方を変えるのはやりやすくなるのではないかな、と思う。

座頭市のタップダンスの練習は誰から始めたか?

ビートたけしが監督した「座頭市」がある。この映画の中でタップダンスを行ったのが有名であるが、実際にタップダンスの練習は誰から始めたか? ビートたけしその人である。監督自ら練習を始められては、俳優が練習しないわけにはいかない。まさしく、インサイドアウトである。