「物理的な世界」はあるが、実際自分が感覚として把握しているのは鏡像としての「仮想的な世界」である。
「物理的な世界」は「仮想的な世界」と等しくはない。なぜならば、「物理的な世界」は、世界の裏側でも何かが起こっている。しかし「仮想的な世界」ではそれを知覚はしていないからだ。つまり「仮想的な世界」は、「物理的な世界」のうち、”私のために”、私が必要としたものが選択されている。
更に、選択されたものや事象は、”私のために”、私の印象を反映される。好きなあの子が笑った、たったそれだけの事象が意味を持つのは、私が”私のために”、重要だと認識しているからに他ならない。他の人の誰かが見たら、へんな顔して笑ってた、と解釈しているかもしれない。故に、選択されたものや事象は、”私のために”、私の印象を反映される。
故に、『(仮想的な)世界は私のためにある』。
そして、(仮想的な)世界を彩っているのは、私自身である。だから、(仮想的な)世界を変えるには、世界の主たる私が変えれば瞬時に変わるというものである。
それぞれの世界は、それぞれの私のためにある。