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太字は使わない

書き方のフォーマットは人それぞれだと思う。私は、基本的には本と同様のフォーマットに従うようにしている。章の始めの一文字ずらしはできてないが。

フォーマットは、自分のいいたいことを整理するための手段だ。私に提供される手段は以下の通り。

  • タイトル
  • 見出し
  • 段落
  • 改行
  • 箇条書き

太字は使わない。

 

太字にすれば、自分の言いたいことに相手は一応注目するだろう。しかし、それでは、その太字を言うために、それ以外の文字を尽くした理由がなくなってしまうんじゃないかと思っている。自分で種明かしをするマジシャンのようだ。その一言で相手に楔を打つのが済まされるだろう。しかし、そのバックボーンや熱量を合わせて伝えることによって、相手の心の中でその言葉を召喚させることが本筋なのであろうに、その読み手が本来すべき作業を書き手が分捕って作業する。要するに、相手が読み取れないって思って自分で作業やってんじゃねーかと思う。この相手への信頼のなさ! そして自分自身の文章とその構成力のなさ! その結果が文字を強調させてんじゃないかと思うと、自分がふがいなく感じるのだ。つーか、どんだけ自分に自身がアルノヨ。

そんなことを感じるので、個人的に太字を使うのは、自分が負けた気になるので使わない。

これは書き手からの視点。読み手からの視点からだと、文字にえこひいき感が感じられてて、なんだかつまんないんだ。そう、つまらない。

 

さっきも言った通り、自分で種明かしをしているマジシャンのようなんだ。まぁナポレオンズなんかは敢えてそういう振る舞いをしている所が売りなんだけど、文章もそういう売り方があるかもしれない。私もそういう日記を楽しく読める。それに私も昔は太字を使って書いていたことがある。しかし最近はとんとしなくなった。

しかしどうしてつまらなく感じるのだろう?

 

先ほどえこひいき感と言った。まずつまらなく感じる理由の一つがこれだ。文章はその文字量からして、正直一列に読み解くようなものではない。そして全ての文字が一つの目的にそって働きかけるはずなのだが、太字でその文字に働きかけに上下が生じる。太字の文字がフォーカスされることで、他の文字の価値は薄れる。そして本来備わっていた熱量が制限される。

日記で見るような太字はこれが反対で、むしろ太字やフォントの大きい文字を際立たせるために貢献される。だから多分あまり違和感がないんだと思う。

でも主義主張や自分のマジメに言いたいことで使われたりすると、ちょっとした違和感を感じることがあるし、個人的には歪んで情報を受け取った気になる。人によっては理解しやすいのかもしれないけれど、

 

次に考えられる理由が、文章書きとしての限界を露呈している気分になるからだ。私は昔は小説を読むことが多かった。最近の小説ではどうかわかんないけれども、小説で太字を使うのはありえなかったし、できれば今もそうしてほしい。太字がなぜ使ってほしくないか、と言うと、地文の構成がおかしくなるからだ。太字レベルの文字というと、次には章タイトルや見出しだ。太字はそれと同様の効果を知らしめる。それが地の文で出てくるのはもう、卑怯技に近い。

こんなに文字を尽くしても自分の言いたいことが伝わらないなんて、と思うことがある。文字ということに限界を感じる。それでも尚、その感情ですら文字を介在することでしか言えない。そんな大前提の中で、文字を尽くすことに意味のなさを感じつつそれしか縋ることしかできない。それなのに、太字を入れて自分の言いたいことが伝えきれることができるのか、私には証明できない。もちろん、強調のために用いている人もいっぱいいるだろう。つーか私じゃねーか

文章が、その人の中でどのような言葉に集約されるかは、異なる。どんなに太字にして強調したとしても、それは異なる。それにも関わらず、太字にする程その部分に執着するほど、自己主張したいのか、それとも自分の他の文章で収束できてないのか、それとも理解しやすいようにおせっかいでしているのか、私には図りかねる。

 

 

とはいっても、どのように文字を修飾して、自分の言いたいことを伝えようか工夫するかは、その人のポリシー次第だ。

私は太字を使わない。……多分。