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柘榴の園への細い蔓

私は生命の樹が好きだ。

生命の樹というと、魔法だとかカバラとかそんな所に関係する、あの胡散臭いマンダラみたいな魔方陣みたいなアレだ。ブログの中では、そういう関連の話はしないことにしている。なぜなら、ヘンな方向へ進むからだ。

私は物理的・科学的な話が好きだ。それらはクリアだからだ。少なくとも、説明する言葉自体の意味が、拡散方向に進むことはない。しかしながら、上記は概念もそれを表す言葉も、あまりに曖昧で、確定するには難しい。そのため、感覚的な評価をすることになり、その結果自分の意図する内容からずれた内容になる、そのことが嫌なので、そういう関連の話はしない。

しかし、関連の話をしないからといって、興味があるかどうかとは別問題の話だ。昔からなぜかこの類の話は大好物だった。どうして好きなのかというと、レゴや歴史やウルトラマンやガンダムがどうして好きかと説明するのが愚問なのと同じである。

 

しかし、その興味が昔から強いシグナルとして合ったわけではない。今回はその今までに繋がった蔓をさかのぼっていこうと思う。

最初は中学校に遡る。その頃、自宅で買っていた毎日新聞では、瞠目新聞というのが掲載されていた。瞠目新聞は島田雅彦が編集していた新聞内の新聞だ。なぜか私はいたく興味を持った。島田雅彦という作家に興味を持ったが、だからといってそこから細かく本を読んではなかった。

次に彼に傾倒だったのは高校になる。またしても毎日新聞で、島田雅彦が連載を持った。あの時はなんだっけ? 彼岸先生だったか、なんだったか。それでまたしても島田雅彦に興味が沸いた。それで、今度は小説を買って読んだ。いたく感動し、昔の本を遡って買い、ひとしきり心酔していた。昔の私が何がよかったのかは、ついぞ不明であるのだが。

その時に読んだ本の一つに、ちょうどカバラの話が出てきた。ついでに、この時期私は図書館通いをしていたので、同時期に興味を持って魔法やカバラに関する本を借りては読んだ。内容はさっぱり分からないまま、生命の樹のビジュアルだけは、忘れられなかった。

そして、いつに買ったかすら忘れた本が手元にある「魔法入門」。買ったのは高校生だか大学生だか。多分高校生かな。……。まあとにかく昔の私はやってみたかったらしい。実際試したが、結構ストイックな内容で、すぐさま数日ぐらいでやめた。

更に時代はくりあげ数年前。家から少しばかり本を持って帰ろうとした時、この「魔法入門」も妙に気になって紛れ込んだ。この本は結局、捨てるか捨てないかギリギリのラインの中に入りつつも、なぜか生き延びてしまった。今では全くこの入門作業はする気力はないのだが、それでも、この本の感想は、興味半分疑惑半分、といったところだろう。その気持ちは今ですら同じだ。

そしてその数年後、私はGTDに出会った。GTDに出会い、実装的な細かな部分や、心理的な面に関して、心理学についても学ぶ必要があるなと思った。GTDに自分の曖昧なものを託すのは、どうやらGTDには例外のようだ、ということを知り、GTD自体にも限界を感じるようになった。

その一方、心理学を考えるのにも悩んでいたというより面倒に思っていた。心理学といっても実践的な心理学も理論的な心理学も混在していて、バリエーションも広い。そんな中、心理学の中で自律訓練法を見つけたのだが、あっけにとられた。というのも、その自律訓練法は、魔法入門に書いてた訓練そのものだったからだ。

それで、もしかすると、魔法というかカバラというか、心理学の要素はそっちらヘンをあたる必要があるのかもしれないと、思うに至った。残念なことに、科学的な内容から、コンセプチュアルな内容へ進まざるをえなくなった。それまでにも無意識や意識や、といい始めていて、これは説明するに曖昧な領域に入ってきたなと危ぶんでいたのだが、真っ向から飛び込む必要に迫られてきた。

更に別の機会に私は本を買った。「柘榴の園」という本だ。この本は、生命の樹に関して紹介した書物である。赤い布地に、金で縁をなぞった昔ながらの本である。古本屋セールの中で見つけ、買わずにはいられなかった。

その本の中で、心理学に関する決定的な言葉を見つけ出した。

これによって、私は真面目に生命の樹について、読み進めようと思ったのだ。もちろん、生命の樹というものを前面的に受け入れても問題ないだろうと判断したのは、私の思考スタイルがコンセプト型が強く、その形式を受け入れるにひどく抵抗がない、というのも要因の一つである。これが、ディテール型や社交型が強い場合、非常に受け入れるに難しく、そんな私だったならば決して取り入れようとは思うまい。今の私であるからこそ、受け入れる準備が整ったといえよう。

 

 

このような経緯でもって、私は柘榴の園へと足を踏み入れた。それまでに断続的だった軌跡は、今後もそれ程に変わらないだろう。

 

さて、決定打となった言葉であるが、その後なぜかその言葉を一向に見つけられない。