重要なのはできるだけ思考の流れを分断しないような大きさを確保することです。
現在hoririumさんのところでは、手帳というものを見直し、それに代替する新たなものを提案しています。それがタイトルの「システムノート」であり、その「システムノート」で重要と説明されているのが、上記の文になります。
思考を中断させない、というのはあらゆる場面で重要なポイントです。今回は収集ステップに目を向けてみたいと思います。
収集ステップは公私にかかわらず収集しろというのは、どうしてか?
GTDをはじめて、最初の頃から不思議に思った点はこのことです。どうして収集ステップでは、何でもかんでも集めるのがいいのか?
David Allenの言うには、理由は確かこんな感じだったと思います。自分の立場から考えるとやるべきことや気になることは仕事以外にもあり、それが実は頭を悩ませているからだ。だからどれであっても収集する必要があるのだ、と。
Davidの言いたいことは、頭では理解できます。でも、なんとなく釈然とこない。確かにフォーカスが仕事や生活の一部分から全部に変える必要があるのはわかる。でも全部に変えたらうまくいくのはどうしてなのかは、わからなかったのです。
脳みそに皺はあれど、境界はないのだよ
で、そんな時思い出したのが時間と脳みその関係です。曰く、脳みそに時間という概念はなく、しゃべる内容によって未来へ行ったり過去へ行ったり自由自在だ、と。
で、ふと思った。それって、カテゴリについても同じことが言えるんじゃないかな? カテゴリだって、人が覚えやすかったり見やすかったりといった理由から、敢えて分けているだけで、脳みそはそんな概念はないんじゃないかなぁ、と。
確かにそうです。でなければ、息をしながら自転車をこぎつつ歴史の暗記をすることだって難しいに違いありません。と、これはちょっと言いすぎ。意識的な区別はあるにせよ、脳みそが無意識的には区別はないのだと思います。だからこそ、相手とビジネスな会話をしつつ、目の端に時計を見ながら後何分でお昼かなと心の中で考えることもできるのでしょう。
脳みその家捜し
さて、話を戻して、脳みその家捜しにはどうしたらいいのか? 収集ステップは、いわば脳みその大掃除です。新しい情報はもちろんのこと、古くてこびりついた情報までをも一旦取り出す必要があります。でも、そんな古くて思い出すことすら難しい情報、どうやって出せるの?
そこで、「できるだけ思考の流れを分断しない」ようにするのです。脳みそは同じ作業であれば、負荷が軽減され、動きやすくなります。それができるように、脳みそには思い出す作業を延々と繰り返すように仕向けるのです。でも思い出してからこれは仕事、生活、と区切っていると、その思い出す流れというものを分断してしまう。だから、判断する作業を一旦除いてしまうのです。
しいて言うなら、脳みそという名の池に飛び跳ねる魚を捕まえるような
収集ステップは、私には上記の見出しのようなイメージがあります。思い出そうとしても、意識的に思い出せるかというと思い出せないので、私はわざと思い出そうとはせずに、周辺のことを思い浮かべます。撒き餌みたいな感じ。で、思い出した!と思ったのをすかさず拾って出力する。これがいわゆる飛び跳ねる魚のイメージ。
思い出そうと思ったのを直接思い出す、といった一本釣りのようなことはできず、飛び跳ねた魚をささっと拾い上げる、というのが私の思い出す作業のやり方です。池の中に何匹魚がいるかはわからず、どこに存在するかもわからず、飛び跳ねるのが何でいつどのくらいなのかもわからない、私の捉えている脳みそのイメージにもとてもフィットします。
結論
で、結論です。公私ともに収集をするのはなぜか? 思い出し収集するという作業に専念するため。ブレインストーミングと同様、質より量が必要なのです。