works4Life

飯と酒と時々GTD

シュレーディンガの猫の生死を知る瞬間

プレイフルリストに「ADD,ADHDのチェックをする」というのを書いた。

ひとえにこの項目をプレイフルリストにいれたのには、よかれ悪しかれ、その判明する瞬間の衝撃を心待ちにしているからだ。

自分がその予想と近しい場合、その衝撃は歓喜となり、遠い場合には落胆という感情を伴う。私は、いずれに転んだりにしても、その知る瞬間の衝撃を身体を伴ってあじわうことが、何よりも好きなのだろう。

その瞬間は、アハ体験であり、ユーリカであり、Water!!の一つである。物理的なイメージで言うなら、新しい情報を受け取った瞬間、シナプスの形状が一瞬にしてそれに適合するように形を変える瞬間でもあるだろう。柔らかい場合は、悟りであり、諦めでもあるだろう。その前後の瞬間は、シュレーディンガーの猫を彷彿させる。

シュレーディンガーの猫は、心理学の実験の一つだ。ある箱に砒素の入った~~~~~といったものだ。この実験の要素は、箱を開けるまでは、猫は死んでいるかどうかがわからない、というものだ。物理学的に言えば、その状況の発生率は70%だとか数値的に出したとしても、感情的な気持ちでは、期待の度合いが反映されて半々だったりするのだ。

私はそれよりも、知る前と知った後の心持ちの度合いの方がもっと気になる。知った後の気持ちの熱量の違いを知っている。ファイナルアンサー!と言われればやきもきする気持ちを押さえきれない。答えはもう決まっているはずなのに。そして、その後の正解と残念と言われた後の熱量が去った感覚。事実がステージの幕から現れ出たというだけで、内包する熱量の違いは一体何なのだろう。

現実というステージに現れ出ない限りには、私たちの脳は可能性があると思って、正解と残念との二つの場合の心の準備をしているのかもしれない。

私は知りたいと思う。その結果を私に正解とも残念とも気持ちにさせるか知らないにしても、何も変わらない前よりも、変わる先を楽しみにしているのだ。