私は魔法の国で、魔法を体験した。
先日、ディズニーランドに行ってきた。ディズニーランドは思いのほか空いていて、とても素敵な時間を過ごせた。
その時間の中で、いつもなら到底待ち時間で挫折して行かなかったアトラクションにも訪れた。我等がアイドルミッキーマウスと間近に触れて写真を撮ったりハグしたり、サインを書いてもらったりできるタイニートゥーンだ。
ここで驚くべきことが起こった。
タイニートゥーンでミッキーと会えたことに、なんと私は思いのほか大興奮したのである。私の表情は高揚し、大降りにミッキーと抱き合った。サインこそもらわなかったものの、ミッキーと一緒に写真を撮って、いつもならフラッシュで目が閉じてしまうのをがんばってそうならないように努力した。恐るべしミッキー、恐るべしディズニーランド。
それにしても、どうして私はこんなにも、ミッキーと会えたことに興奮したのだろうか。
似たような状況を考えてみた。たとえば、別に私はヨン様には興味がないのだけれども、それでも間近に見れる機会があれば、大興奮するようなものだろうと思った。興味がなくたって、その人がとても有名だと知っていると、心が湧き立つのは自然であろう。
ミッキーも然り。
しかしである。忘れてはいけないことがある。ここに、絶妙なまでの集大成が存在していることに。
ミッキーはヨン様のように実在する人間ではない。ミッキーはキャラクターであって、その印象や振る舞い、考え方等は、予め決められてそれをアニメやテレビ、ディズニーランド内でのパレード等などから形成されている。そしてそれらを作り上げているのは一人ではなく、複数人が関わっている。
だのにも関わらず、ミッキーはミッキーというひとつのイメージの鋳型として私の心の中に凛然と形成されている。
今回のタイニートゥーンでのミッキーとの出会いは、私の心の中にあるイメージの鋳型にぴったりと当てはまった。今数多の人間によって私の中に形成させられたミッキーという鋳型と同じものが、現実世界に現れ、私の前に立ち、動き、握手をし、そしてハグしたのだ。抽象と具体の融合。そして、この融合する瞬間の歓喜こそが、私の興奮となった源に違いない。
ビジネスライクに言えば、思考が現実化したと言えよう。しかしここは、ディズニーライクに言っておこうではないか。ディズニーライクに言えば、魔法が起きたのである。
私は魔法の国で、魔法を体験したのである。