昔、私には時間の概念がクリアじゃなかった時を知っている。今はそれに比べると、随分クリアになった。エマジェネティックスの思考スタイルによっても、この時間の概念の基準となるものは異なるんじゃないかなと思った。
どうして時間概念の基準が異なると思ったのか?
私が時間の概念の一つを得たと思った時は、未来に関してを、思考のまな板に置けるかどうかだった。GTDの以前では、自分の反応があまりに乱雑なために、未来を考えても私自身がそれを裏切る形となるので未来という概念自体が必要がなかった。
社交型でディテール型の強い友人Aの場合、人に関する記憶のスパンが非常に長く、幼少の頃の記憶も鮮明に覚えていたという。しかしながら、それがかえって友人に影響を及ぼしていたのは、過去を過去と取り扱えないことだ。過去を過去と取り扱えないことについては、別の友人から考えを受け取ったものだ。
私からして見れば、過去のデータはこれ以上の変化がないため、それに対してあれこれ考えても意味がない。その一方で、友人は過去の記憶に随分苦しんでいる様子をみて、それで、人によって、過去をどのようにみなすかが異なるんじゃないかなと思った。
時間概念があるということはどういうことか?
今回は、過去を揺ぎ無いReferenceデータと受け取り、現在をProjectデータ、未来をSomedayデータとして、正確に取り扱いができている時、時間概念があるとみなす。
例えば昔の私の場合、過去のみ正確な取り扱いができていた。現在と未来を混同している点においては、両方に取り扱いができていなかった。上記の友人Aの場合、過去と現在の取り扱いを混同しているような感じになる。
考える要素
自分自身の場合
自分の場合、時間概念の基準はどうなっているか? 過去については上記で示した通り、これ以上何の修正もできない場合のものが過去データとなる。次に現在と未来についてだが、自分が決めるかどうかによって分かれる。必要と思い、今それについて作業をするならそれは現在の事項のことであり、今それについては手をつけない場合、それは未来のこととなる。
友人の場合
社交型はもともとSocial Typeと呼ばれる。このSocialは人の関連性も考えられるが、物との関連性も含まれているように思う。
ーー
自分コメント
- 15分くらい書いてその後失速。
- おなか痛くてふんばるぐらいでないと書ききれないのはいかがなものか
- というか、これなんで書きたかったんだっけ?