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連続性の不可解さ

どうしても自分を変えられない:自己変革を妨げる「私」のなかの「私たち」 | Lifehacking.jp
http://lifehacking.jp/2008/10/first-person-plural/

私たちは「自我」というと、今日も明日も「私」という一人の人が持続して存在していると考えます。しかし最近の心理学の研究で、より現実的にはいくつもの「あれをしよう」「いや、これをしよう」と争う異なる自我の不安定なコンポジット(合成)が、いわゆる「私」という自我の本質なのではないかという学説が提示されているという話題です。

二重人格や痴呆症等、一人一人格という状態がなくなる可能性はよくある。それは、通常一人格を所有する私たちにもあるんじゃないかと思う。

佐々木正悟さんの中でタスクシュートの話があって、そこで一番好きなくだりがある。次の15分を別の誰かに、というくだり。「私」という人格を、敢えて(少なくとも私には敢えてに見える)時間で分割することにより、行う。メメントのような不可解さではあるが、実際にある話なのでそのような運用もありかもしれない。

 

ところで、二重人格や多重人格になると、どうして日常会話で使ってない言語が使えるようになるのか不思議だった。それを友人に話したところ、次のような回答を受けた。

「だってそれが当然になるのだから」

これは衝撃だった。何がどう衝撃かは説明しきれないんだけども、当然ならばそこに使用に迷う余地がなくなるということが。

しかしそれはアリかもしれない。例えば私はマンガが好きだ。私のマンガの楽しみ方の一つに、キャラがそのような言動をしたのか不可解な時に、自分なりの答えを見つけ出すことだ。その時はその前後の言語や行動、状況を総合評価して、それなりの理由というかこじつけというか考えだそうとする。これが結構自分では納得のいく答えが出てくるのが、自分には絶妙でなんとも面白い。

こじつけなんだけどなんだか納得する感、これが記憶の分断された人格の中で、別の言語使用が当然ならば、それを伝達道具として用いるのは当然かもしれない。

 

ところでところで、多重人格と言えば、それを統合するというか取りまとめる人格がほぼ必ずいることもなんとも絶妙だと思う。プロジェクトのロールを見直したりしているのだが、規模が大きくなると、どうしてもリーダーを取りまとめるリーダーという、オルガナイザーが必要となる(ちなみに私がオルガナイザーという言葉を好んで使っているのは好きな小説で使われていたというだけだ)。たとえ多重人格であっても、そのオルガナイザーの出現はどうしても必要なみたいだ。

頭脳自体もシナプスのネットワークだ。プロジェクトは人のネットワークだ。粒が集まるところに一律なサイクルがあってもおかしくはない。

 

ところで最初の話。「異なる自我の不安定なコンポジット(合成)が「私」という本質ではないか」ということだが、個人的にはむしろこちらの方が納得が行く。

自我というか、言語で表現されるある特定時間での思考の発露は、シナプスのあるネットワーク経路の通過信号だと仮定する。頭の中でいろいろなネットワーク経路の通過信号が発信されれば、さまざまな思考が脳の至るところで発信されているのではないかと思われる。だから、こうやって考えている間にも、別のシナプスネットワークへの通過信号が発生して、話が続いているのかもしれない。そして、しばらくたてば消滅しているのかもしれない。というか多分消滅しているのだろう。

それにしても、いつも思う。この連続性を感じる感覚だけはいつも不可解だ。確かに「私」は「私」という固体の中に存在する脳から発生した信号で、発露された言語を用いて発信しているが、十数年前の私と同じ私を共有している、ということを確信していることにいつも不可解に思う。

十数年前の思考は発露したその時点で死滅しただろう。島田雅彦に喚起した17歳の私の思考は、今の私には理解できない。けれども、私がいくらその思考を不可解に思ったとしても、それらの私を経由してしか、今現在の私は成立しない。今の私にパラレルの世界はない。今が全てだ。いつまでも今が今で、それが全てだ。振り返って私は見つける。

私は私の屍を越えて行く。