works4Life

飯と酒と時々GTD

心のゲージ

心のゲージを自由にコントロールして、環境や状況に対して適応的に振る舞えることが、プレイフルであるということであり、人として成熟しているということではないかと思う。

GTDから畑村洋太郎の失敗学を経て、今教育に関して関心の糸を広げている。これらの3つには「学ぶ」ということが一つの共通点であったのだけれども、私の焦点は若干異なっていた。

私がGTDに見いだしていた価値は若干異なるもので、それの説明がどこにもない、といった点からずっとそれと同じものを探していた。

その探していたものが上述の文章に当たるのだ。

私がGTDに一番見いだしていた内容は、心理的圧迫感がないという点だ。

今までにもいろんな時間管理を取り入れてきてみたけれども、その体にフィットしないものを着ているような、居心地の悪さを感じていた。それがどこから発露するのかは私には理解していなかったが、とにかく首輪を初めてしました野良犬よろしく、その矯正ツールが合わなかった。

なんで、何度も時間管理を取り入れては挫折をするという繰り返しを行ってきた。

GTDはその居心地の悪さがなかった。しかしながら、その自由さに反対に手を持て余していたのも事実である。伸縮のよい服をはじめてきたような、そんな風だが、しばらくしている間に伸びる所は伸びて、使いやすくなっていくのである。

時間管理の何が私に合わなかったのか、といえば、時間を約束するといった、時間管理の本質である。その時間内に仕事を終わらせるためには、人から割り込まれた場合にはどうするのか、といったことが時間管理ではよく議論の的になる。

人のいる中で仕事をいていれば、話しかけられたりして時間が割かれてしまうのはよくあることだ。そんな時に考えられる対応策としては、声をかけられにくいようにうまくしましょうといったようなことがある。だが、この方針を全体的に作用すると、いろいろルールが合わなくなる。

それに何より、自分自身が他人の時間を割いて声をかけることもある。他人が自分の時間を割くのを非とするならば、同様に自分が他人の時間を割くのも非とし、声をかけてはならないということになる。そこで、個人的に論理が崩れてしまい、私には承伏しかねる方針となる。

何がいいたかったのかというと、時間管理からよく聞く方針では、全てを適用できるようなルールを見つけにくい、ということだ。時と場合によって、このルールAを適用するといったような、局所的なルールが散在する。で、私はその局所的な対応が面倒くさくなって、やめてしまう。

それで、いつでもどこでも何にでも使えるような魔法のステッキがないものかと思って、仕事術ジプシーを何度か繰り返したのであった。

その魔法のステッキが今私にはあり、それがGTDなのである。GTDのルールは全体に適用できるものであり、必要最低限の適用できるルールが満たされている。

その根底にある考え方は何かというと、「自分自身への約束」ということであり、一番上で言うなら、心のゲージではないかな、と思う。

心のゲージは自分で決めるものだ。時間管理は自然とできあいのゲージあって、それを自分のフィールドに取り入れようとする。でも、すでに自分なりのゲージあったり、そもそも自分が従いたいゲージのルールとかがあって、なんだか合わないね、ということがよく出てきた。また、状況が異なると、今までつかっていたゲージが合わなくなって、今の状況に合うゲージをどこかから調達しなくてはならないといったことに陥った。

GTDはゴムのように心のゲージを使いこなすことができる。心持ちを切り替えることによって、環境や状況に対して適応的に仕事を併せて行けるのだ。

今私も11月から仕事の状況ががらりと変わってきている。最初にすべきだったことは何か? 私が今まで思ってきた普通を、別の普通に変えることだった。