works4Life

GTDメインのタスク管理と生息してますログを記載しています。

July Holidays終わりました。

そういえば報告がまだでした。July Holidays終わりました。成果としてはこんな感じです。

  1. 友人のサポートをがんばった!(コピー、部屋の掃除などなど)
  2. キッチンのラック導入に成功!(大々的な整理を実施したよ)
  3. 英会話学校に通い始める!(とりあえず入った)
  4. コミュニケーションいろいろ(シゴタノ!ランチオンなどなど)
  5. GTD勉強会第5.5回実施(結構スケジュールが短かったので思ったより大変)
  6. 不要なものの処分
  7. 服の整理整頓

充分な余裕を確保するための休みでした。今までストップするための時間がなかったので、これはこれでよい休暇になったです。ただ、仕事としては何もやってないので、いわれのない焦燥感はどうしてもあります。

本当に休んでよかったのか?

よかったです。もともと友人のサポートをせずして死ぬのはどうか? と思ったことから、今回のHolidaysは始まりました。仕事は別に続けることができますが、友人へのサポートはこの期間だけでしょう。そういう意味で、どういう形であれ、サポートができたことは、本当によかったと思います。

その分、確かにリスクはありました。一番のリスクは金銭面です。通常自分が獲得できるうちのサラリーと、その月のボーナス分は獲得できません。これは、時間を確保するための当然の代償であります。そのリスクをのむかどうかは、本人次第でしょう。リスクをとるか、それとも自分のしたいことをとるのか、これから選択の決断の時に、リスクのない決断はないでしょう。これ以後、私は更にリスクの伴った決断が、しやすくなることだと思います。今回の休暇は、決断の練習にも、大いに役立ったと思います。

流れが変わる際の大きな混沌

今回の出来事で何を大きく感じたのかを考えると、大きな混沌でしょう。大きな混沌とは何か? 部屋を整理整頓する際に、一時は異常なまでに収拾をえないような、混沌とした世界が部屋に横たわります。GTDの収集ステップで迎えるのはこのような状態であり、これを目の当たりにすると、それだけでもう一気に気力が削がれてしまいます。

しかし、理なき世界から理のある世界を構築するためには、この大きな混沌を接触することは免れません。物理現象として、化学変化があります。この化学変化でも活性下エネルギー状態は、変化前のエネルギー状態と変化後のそれのいずれよりも高い状態です。

大きな混沌とした世界は、ちょうどこの化学変化中の活性下エネルギー状態だと私は思っています。物自体のエネルギー状態は変わりませんが、例えばその混沌の中から必要なものを選び取るための、頭が要するエネルギーが整然とした世界とでは大きく異なるはずです。つまり、頭がその世界でやっていくための必要なエネルギーが異なるのではないかと思います。

このような状態を、今回いろいろ経験しました。2番のキッチンのラック導入時に整理整頓をした時もそうですし、6番の不要なものの処分もそうです。7番の服の整理整頓もそうです。つーか、混沌の世界ばかり対応してるような気さえしています。そして、July Holidays自体こそが、小さな混沌を理に戻すための大きな混沌でもありました。

理が変革する際、ある適正な状態になる前というのは、このような混沌になることが多いです。なぜスムーズに移行できないのかは未だわかりませんが、私の場合、混沌と理がいつも紙一重で佇んでいます。しかし、混沌の先に理が待っていることを知っているので、私は混沌に突き進むことができます。

July Holiday時は私自身が大きな混沌だった

こう考えてみると、今回のJuly Holidaysの時期とは、私自身が大きな混沌とした状態であったように思います。おかげで、前々から気になっていた部分が消化され、随分気になっていた部分が消化できました。7月のはじめに収集した180近くの項目も、後で見返すといつの間にか消化できているものもありました。

私が言いたいのは、きっと皆の中にも、このような、制御不可能な時期というのが発生することだろうということです。しかし、それは概して適切な状態へ向かうための、重要なステップの一つなのだということです。そういうものの感じ取り方もある、という一つのサンプルとしてみると、よいかもしれません。

ところで、ブログのエントリがGTDから大きくかけ離れている件について

私のブログは、自分自身で危惧していたとおり、GTDの出力部分がgihyo.jpに流れていってしまい、このブログ自体はGTDのことから随分離れてしまいました。そして、私自身が一番それを気にしています。とはいいつつも、GTDから発生した自分の現象を記す、という意味では、このブログの内容は含まれます。

GTDは、正直理解の範疇が一瞬固形化したかと思いきや、その一瞬後には液状化してしまい、今では随分様変わりしてしまいました。私はGTDをよく使っている方だと思いますが、未だ部屋は整然とした状態から程遠いです。実装の全ての煩わしさから解放され、お花畑にいることはまだまだ先のようです。

とゆーかもうちょっと軽くかきたい。