works4Life

飯と酒と時々GTD

「タスク」を「管理」して、どんな風に変わったらいいと思っていますか?

その言葉はかっこいい?

 個人的な趣味から、私はGTDをキーワードにしてwebデータをクローリングしています。それで、GTDの概略をよくブログで見かけるのですが、大体にして「タスク」、「管理」というようなキーワードで形容されます。

 んー、まぁそういう風に見えるのなら見えるので仕方がありませんが、何回もそういう風にGTDが説明されるのを見ていると、なぜかそれを実行する自分すら鬱陶しくなるのはどうしてでしょうか?

「タスク」「管理」から連想される意味

 「タスク」や「管理」といったキーワードを聞いて、それがかっこいいものだと思いますか?

 私は思ってません。かなりださいと思っています。それがもたらされるものが何であるとかそういう以前に、「タスク」「管理」この二つの単語が全然かわいくないのです。

 「タスク」――私にはなすべきことがある、ていうととっても格好良く聞こえがいいんですが、言い換えれば「私はやんなきゃいけないことがあるのー」という意味でもあります。私は、「タスク」というと連想として「しなきゃいけない」「義務」「絶対」とかそんな感じのイメージが出てきます。ところが、私はこのイメージが好きではありません。  私はそんな「義務」からそれをやりたいわけじゃないです。もっともっと気持ちよく、やりたいことをやりたいんだから一々がみがみ言ってくんな! て感じがするのです。そこまで考えるのは飛躍しすぎかな、とも思いますが私はそんな風に思います。

 「管理」――風情もへったくれもありません。せめて「鵜飼」とたとえるならまだしも、その言葉からは理念も方針も関わっているようには、私には感じません。それ以前にアンタは私の何を制御し抑制してくれると思っているのか、ただの紙切れぺラいデータで何を言っとるのか! というような気持ちがしてくるのです。あくまで気持ちです。そんな風に、私は思うわけです。

 私は「タスク」と「管理」をそんな風に思っています。GTDはそうじゃないから私は好きです。でもGTDでよく説明されるのは「タスク」とか「管理」とかなので、微妙なずれを感じます。

そもそもあなたはGTDに何を求めているの?

 「タスク」「管理」というキーワードから、あなたは、GTDをやったらどんな風な自分になれる、どんな風になりたい、と思っていますか?

 この「GTDをやったらどういう風に自分は変わりたいのか」という部分は、結構かなり明確にイメージ方がいいです。でないと自分がどういう風に進んでて、それが合っているのかどうかすら判断しにくいからです。

 私がにわかGTDを始めた頃、切羽つまるような状態から抜け出せるようになったらいい、思ってGTDを始めました。  その頃の私は、本当にどうしようもない状態でした。仕事にテンパってて、何がなにやらいっぱいあって、この作業を始めてもものの十分で、そういえばあれをやんなきゃと思い出してすぐに手をやめ、それに手をつけても数分後にはあれもしなきゃと思い出しては中断しては別のことをし、そんな風に数時間が過ぎてても、何も進んでない状態でした。  だから、GTDをやって、こんな何も進めない状態から抜け出せたらいい、せめて自分がする作業が何なのかを明確にできたらいい、と思ってやり始めました。  始めたGTDが功を奏して、私はそんなどこにも動けない状態から動けるようになりました。

 あなたはGTDをやって、今の状態からどんな風に変わったらいいと思っていますか?  「タスク」を「管理」して、どんな風に変わったらいいと思っているんですか?

「タスク」からさらに連想される、おぞましい風景

 「タスク」という言葉が好きくない理由の一つに、タスクが絶対に消えることがない、というのがあります。

 タスクタスクって言うけれども、タスクが全て消化されて、もうこれ以上タスクが出てくることがない、だなんてことは、人生の中で一時もないんです。  今日やるべきことが消化できたらいいとか思っているけれども、明日も消化すべきタスクがあり、さらに次の日にも消化すべきタスクがあり、さらにその次の日だって消化すべきタスクがあるのです。そんな風に毎日毎週毎月毎年日々をすごしていく中で、毎回毎回今日はこれをしなきゃ!ってタスクはいつでも発生し、いつまでたっても消化しきれないのです。  仮に消化しきれた日があったとしても、なくなったということは次に消化できる余裕があるとみなされて、またまた「タスク」がやって来るのです。毎回そんなイタチごっこで、考えるだけでうんざりです。  タスクが全て消化されたからってそれが安寧をもたらしてくれるんでしょうか? 違うね。タスクが全て消化されたという終わりは、新しいタスクがやってくるひんやりとした胡乱な未来の始まりなのです。安寧は、タスクが全て消化されたその時から、新しいタスクが来る前まで、合間のひと時にしか感じとることができないのではないでしょうか?

 GTDがそんな安寧だけを提供するのならば、私はもうGTDを手放していたことでしょう。だってそれは今までのタスク管理となんら変わりはないからです。