「可能性がなくなるっていうのは、結構しんどい。気がつくと組織にしがみついている自分がいてね。若い時にはそういう上司たちを見て、格好悪いなぁと思っていたのに。トホホですね」 先日、経営者層を対象に「生きる力の強い部下の育て方」なるテーマで講演した後の懇親会で、大手広告代理店の部長という男性が苦笑しながら、こう漏らした。
“市場価値”を悟ったエリートの悲哀と希望:日経ビジネスオンライン
可能性を見いだせなくなって、手が出なくなることは私自身よくある。人生全体を覆いかくすような切羽詰まった感までに至らないまでも、まぁがんばってもなんだか効果ないなぁと思うと、本気でやる気をなくして生きるのにばかばかしくなることがある。
というような思うところもあったりしてちょっとまとめておく。
著者と50代の感じた”市場価値”ショック
著者の感じた”市場価値”ショックと、50代の感じたそれとの違いを端的に表そうとすると、例えばこんな風になるかもしれない。
著者の感じた”市場価値”ショックは、市場価値が、過去の実績があまり寄与していないこと 50代の感じた”市場価値”ショックは、市場価値が、未来の変化が見込めないこと
この二つは大いに異なる。過去と未来とで否定される場合、どちらがのしかかってくるかというと、未来の方だ。
未来への可能性がないのは、何よりも心理的に厳しい。変化が見込めないこと、自分がどんなにがんばっても効果がないことは非常に恐ろしい。まるで自分が透明人間のようになって、そこに存在しないかのような気になってしまうからだ。効果を打ち消す手法を用いた拷問があるらしいぐらいだから、その恐ろしさは計り知れない。
「未来」とは?
何が損なわれると未来がない、と思うのだろうか? 長い目でみればそれは伸びしろであり、短い目でみれば効果、もしくはフィードバックだ。
伸びしろは、たとえばテストで言うなら100点が最大で95点をいつでもピークしているようなものだ。これ以上点数を上げるにしてもあと5点しかなく、また95点を保ち続けるのにも労力がいる。そうでなくても70点台を取る面子が90点台に台頭して気持ちは焦るばかりだ。
効果は、化学的な見かたでいうなら「刺激と反応」のうちの「反応」にあたる。効果の大なり小なりはあるけれども、最終的な一番小さいものを見れば、「反応」と私は考えている。ここでいう効果は、わりと短期的なものを示す。50年代は今までの効果の振りが大きかっただけに、小さな効果では物足りない、満足が得にくいのかもしれない。
この「効果」を見出すことがなければ、今後続ける理由が見いだせない。50年代の”市場価値”ショックは、この「効果」のなさの小さな積み重ねと「伸びしろ」の大きな将来の断絶のダブルショックを受けて、ますますやる気が削げてしまうのかもしれない。
”市場価値”ショックの隠されたショック
50年代の”市場価値”ショックには、隠されたショックがある。
今自分が所属している会社以外の他の市場では役に立つかどうかわからない。こんなに培ってきて、自分ではそれなりの価値を認めているのにも関わらず、である。それは「俺は、結局、組織の中でしか生きられない」という言葉に集約されている。それはある意味当然だ。何せ他の「市場」でどれほどの価値が自分にあるのか、調べていなかったからだ。
それだけではない。今はまだ会社にいるから「市場価値」はある。だが、定年後はどうだろう。「市場」そのものから場外を言い渡された後、自分の価値とは一体どのようなものが残りうるのか? そこに存在価値は存在するのだろうか? 延命措置は可能だろうか?
今まで上昇するばかりのジェットコースターで、前は霞で覆われていて、落下切り返しポイントは見えなかった。それが今になってようやく前の霞が薄くなり、先が見え始めつつある。
ジェットコースター上の落下切り返しポイントは免れない。そもそも落下切り返しポイント上にレールがあるのかという疑問は残っているが……
ハーバードビジネスレビューの関連ありそうな論文
ハーバードビジネスレビューで思い出した論文があったのでそれを記述しておく。
ハーバードビジネスレビュー 2010年2月の「リーダーシップ講座」でもその周辺に関して言及されている。
- アタマ打ちマネジャーの活性術
- 中年期マネジャーの心得
ハーバードビジネスレビュー
40~50年代というと、HBRではマネジャークラスにあたるので、そこのジョブクラスに関して言及されている。「アタマ打ちのマネジャーの活性術」では消極的になった彼らの再活用方法について、「中年期マネジャーの心得」では、状況の説明とそれに対する本人と組織が取り組むべきことについて言及されている。
後、効果に関して、仕事が充実した系の記事がどこかにあったはずなんだけど忘れてしまった。
それ以外に思い出した本
備忘録。「可能性がなくなる」ことの終着駅は「自分に存在価値がない」ことだと思う。その感情がうまく表現されていたはずの本ということで、思い出した。
自分コメント
- 論旨がつかめなくなった
- ちなみに30年代のジェットコースターは、木造なみの危険さです。そもそも折り返し地点までもつかどうだか。。
- というか建築物の耐久度合いがまんますぎる。