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GTDメインのタスク管理と生息してますログを記載しています。

「どら」GTDで書き出したらスッキリすることについて

GTDの収集ステップは、頭がスッキリしたらよい、と言われる。確かに私もそのスッキリ感を感じた一人だけれども、他の人に説明する時には、スッキリする時もあるしそうでないときもある、と説明している。いろいろそれを説明するような例えはある。とてつもなく汚い部屋をきれいにしたらスッキリするが、ほとんどキレイな部屋をキレイにしてもスッキリとは到底思えないだろう。あるいは、凝ってない人にマッサージをしたところで、スッキリした!とは感じにくいだろう。

そういう例を示して、スッキリするには、頭の状態に関係することを説明している。

では、何がどのような仕組みでスッキリするというのだろう?

これについてもいろいろ言われている。「短期メモリが増える」「覚えなくてもいい」などなど。私が説明するのに適す適さないに関わらず、一番確かだと思う理由は、「思い出すのに多大なエネルギー量を消費しなくてもいいようになる」ことと、「思い出しやすいように取りおきするのに多大なエネルギー量を消費しなkてもいいようになる」ことだ。気軽に思い出すためにはエネルギー量が多分に消費される。

(1)まず思い出すための情報を短期メモリに保持しておく。そのために、短期メモリに保持するためのエネルギーが必要となる。(2)次にその情報を引き出し命令が出てきたら、その短期メモリから引き出す。ちなみにこの引き出す際にもエネルギー量は必要となる。(3)更に、中途半端な短期メモリに保持している時、その情報が精査されていない場合、いろいろな情報をくっつけることによって、記憶する情報を保持しようとする。文字にする前には匂いや映像やらいろいろな記憶と一緒にすることで、記憶が消失しないように調整している。

情報は記憶していても、だんだんと変質していく。会社が存続していても、その間には様々な人が入社と退社を繰り返して、構成する社員が異なっていくように、情報の構成する項目自体も、徐々に入れ替わりを行っている。なぜならば、そうでなければ中途半端な状況の情報を保持することができないからだと思う。

ここで、サヴァン症候群の記憶パターンを思い出した。彼らの記憶は、私が思うに長期記憶に直接埋め込みがされているような感じだ。記憶が正確なのは、そのためのように思う。中間記憶でたゆたう時間がない代わりに、彼らの記憶は長期記憶へ一直線と向かう。あるがままをあるがままに。

さて、情報を外部化することで、上記のメモリ及び維持サイクルを解法することができる。

なぜか?

それは人間の仕組みに依る。身体機能は、代替物が見つかったらそれに任せるような仕組みになっている。宇宙飛行士が、地球に戻ってきたら筋肉が退化していて大変だという話がある。これは、人間の筋肉が、宇宙にいると重力が地球より少ないので少ない筋肉で動けるため、結果、筋肉が退化した。

記憶も然りである。何かに保管ができたことを確認さえすれば、自分ががんばって記憶している必要はないと判断し、否応なしにサイクルが止まるのだと、私はいつも感じている。どれぐらいに回りに興味のあるなしが

さて、書き出すことで何がよいか?

上記(1)(2)(3)のエネルギー量が解放される。次に、外部化は(3)から「言葉」のみに置換される。これは、その記憶体のポインタのみが外部に移されることだ。これにより、(3)でいろいろ巡らしていた内容の大半が概念から乖離される。

ちなみに言うだけでは、この解放作業は途中で失敗する。書き出すことはなぜよいか? 連続的な時間で、書き出された内容を確認できるからである。ある一定の期間において、ずっとその情報を見続ける過程で、その情報のフィードバックがずっとかけられていることで、その情報は存在するに足る情報であると信用し、記憶の代替が可能であると、脳が勝手に判断し、記憶保持システムを解放する。

ところで、最近粗大ごみでワイン箱を捨てた。ワイン箱を外にすてて、次の粗大ごみを捨てにいったらもうなかった。外に置いてからなくなるまでに一分も満たない。私は、本当にワイン箱を捨てたのか、疑わしく感じた程だ。これは、上記の内容と反対の現象が起こっている。つまり、「私は、外にワイン箱を置いた」という作業を行ったが、それは「外にワイン箱が置かれた状態である」というフィードバック(もしくは実績)で補完される。しかしながら、短時間で「外にワイン箱が置かれた状態である」というのが解消されてしまったために、その結果を導いた原因である「私は、外にワイン箱を置いた」という行動が、本当にされたかどうだかが信用に足らなくなった。

中間記憶がなまじっかよいと、GTDの真のシステムに移行することは難しいように思う。