正しくは、フォークホラーな分類となる「ミッドサマー」を見てきた。
映画館でやってた時に書いていた文章だけど、公開する時期を逸してどのタイミングで出せばいいのか悩んでいたところ、ネットフリックスで公開されたようなのでまとめた。
いろいろ含みのある映画なので、気になる人は気になる感じの映画だ。考察記事を巡る人も多いだろう。
私も気になった部分だけ記載した。
ミッドサマーってどんな映画?
文化人類学を専攻している恋人を持つ、家族を亡くして情緒不安定な主人公ダニーが、恋人の友人の故郷のスエーデンにある夏至祭に参加してエラい羽目にあう、というのがこの映画である。
画面的にはホワイティでリリカルなんだけど、ぶっちゃけ音楽が不穏すぎて、とてもじゃないけど穏やかな気分で見られることはない。
ツイッターでえらく絶賛されて興味を持ってみてきたけど、あのホワイティな空間にいびつな気持ち悪さをまぶすことができたのは、すごいなっていうかキモいなっていうかえげつないなていうか、そういう映画だった。
自分の感想はというと、正直どこにも感情が帰着する場所がなくて困っている。しいて言えば、監督の意図を探す旅に出てしまったというのが近いだろう。どういう風に感じ取れば監督の思うツボだったのかが不明すぎるので、いろいろ探してしまうといった風である。
「私さ、文化人類学趣味なんだけど、山道入ったところでもしや、て思ったけど、黄色い家見てオチわかっちゃった」と、一緒に見に行った友人が告げたこともあって、話の筋的にはその筋を知る人には(どの筋だ)下書きをなぞるような、これ以上ない当然の内容だったようだ。
とはいえ、『ホラー』『閉鎖的な村』『村』『祭り』というキーワードだけで言えば、これ以上なくオーソドックスな文脈で話が進む。
何がすごいって、村の掟がしっかりした作りのようにできあがっていて、それとなく本物らしく見えるってところだ。
以下ネタバレ。
監督本人が言っていた通り、この映画は失恋の物語であり、「変態のためのオズの魔法使い」ともいう。
山道は大切
信仰的な内容については非常に調べられており、それとなく本物に近い状態になっている模様だった。
特に文化人類学が趣味の友人によると、山道が用意されていたのは大切であり、あそこを通ることでよそ者も、あの村に迎えられるらしい。疑似的にあの村に生まれたことになることで。つまる所、あそこは産道でもあるということか。
というか、クリスチャンとその友人は文化人類学を専攻していながら山道には気が付かなかったというのは皮肉なものである。
ペレの恋愛成就(?)とイングモールの失恋
ペレとイングモールは村の人間で、ヨソの人間をスカウトする役目を持っている。二人は旅立ち、連れてくるんだけども、その結末は対照的だった。
監督自体が「失恋物語」と言っていた通り、イングモールはすでに失恋しており、その元恋人に執着して最終的にはこの祭りに連れてきた。一方のペレはまだ失恋してなくて、絶賛横恋慕中である。
イングモールの元恋人であるコニーは最終的には溺死させられるんだけど、もしかすると、コニーとその恋人のサイモンが帰らずこのまま残るという選択肢になったら、ダニーとクリスチャンの役割は、コニーとサイモンがしていたかもしれないなーとも思った。
けれども、実際にはそうにはならず、コニーとサイモンは共々生贄に確定した。サイモンに至っては悲惨な最期となっている。感想ブログを見ていると、アッテストゥパンを否定したのがその残虐な末路の理由とされているが、私はイングモールの腹いせも多分に含まれているだろうという案を推しておく。失恋物語だし。
さて、生贄になった二人を連れてきたイングモールは生贄として志願した。同じ輪廻で次回は恋人に、と考えているような気がする。決して罪悪感から、という気持ちからではないだろう。もう一人志願してきたウルフも、マークを殺していたりするので、基本的に誰かを手をかけたら志願する、というのが暗黙のルールにあるのかもしれない。
一方、ダニーとその恋人クリスチャンの絆は反対に緩まり、ペレの思惑へと進んでいくのであった。。
クズいクリスチャンはペレの手によって堕落の道へと誘われる
この映画の面子の中で、一番えぐいキャラと考えると、私の中ではペレがダントツだ。優しいふりしてあの子なペレ。そして一番クズいキャラはクリスチャン。クズい恋人クリスチャンはまだ、夏至祭に来るまではそんなに株を落としてなかったんだけど、夏至祭に至ったあたりから株が落としまくりである。
クリスチャンのクズい所は枚挙にわたる。旅行をダニーに直前まで言わなかったし、仲間に口裏を合わせようとさせるし、旅行に出る前からひどいもんである。
おまけに、この旅行はもともとクリスと一緒に旅行しに来た友人ジョシュが研究で村の祭りについて興味があって、それで行ったようなもんなのに、そのジョシュを出し抜いてペレに相談する。しかもペレはペレで、確か祭りとかそういうのにジョシュが興味があるから夏至祭に誘ったと思うのに、わざわざ「クリスチャンが先に相談した」としれっとジョシュを煽っている。
また、クリスチャンはホルガ村(ペレの村ね)について近親相姦の懸念について聞いてみたり(ダニーのいる前で聞くあたりデリカシーのなさももろばれである)、タペストリーにあった通りにマヤとヤっちゃうんである。でもそれは、ペレの、ひいては村の総意により導かれた結末ではあるんだけれども、それに乗っかってしまうのがクリスチャンなのであった。
妹と父母の死亡事故は妹によるものだったのか?
私が一番気になっていることはここで、1回目父母が寝ている姿が映し出されるんだよね。その時はまだ布団が上下していたからこの時点では起きている。
ところがこの後すぐに場面は展開されて、両親は車の一酸化炭素ガスを伸ばして無理心中させられ、妹はチューブを口にくわえてそのまま自殺した。その間映ったPC画面は4つ未読のメッセージがあった。
両親の寝ていた部屋には、花冠をつけたダニーの写真が飾られてあり、意図的な事故であったというのが示唆されている。やっぱりペレ、ペレの仕業なの?!
今回、ネットフリックスで見直してみたけど、どう考えてもペレの仕業だった。
(1)妹は最後のメッセージを送った直後で殺されている(その後のダニのメッセージは未読なことから)
(2)ダニが電話したのは妹のラストメッセージから約1時間後(ダニのPCのメッセージ履歴より)
(3)ダニが電話した時、父母は生きている(寝ているシーンで布団が上下していた)父は両手を布団にしまい、母は両手を布団から出していた。
これだけなら妹が一酸化炭素中毒の準備して死んだだけちゃうん?と思うだろうが、実際はそうではない。
(4)消防士が入っていた時、父母は死んでいた。父は両手を出し、母は両手をしまっていた。ついでに言えば、母の口は開いたままだった。
そう、父母の手の位置が入れ替わっており、父母の最後の姿は、誰かによって作られたものだとわかる。この一連の妹によるであろう無理心中は偽装だったのだ。
じゃあなんでペレなんですかっていうと、これは確かペレが入村した時に父母がなくなって孤児になったことに依るんじゃないかなぁと思う。自分と同様の状況を作るために、ダニーにも孤児となってもらう必要があったのだろう。よくよく見返したら、服とかベッドシーツとか全部黄色でまとめてんじゃん。
この孤児にさせること自体がすでに、メイクイーンとして迎え入れられるための儀式の一つだったのかもしれない。
うさんくさいネーミング
また名前についてもこれ以上なく皮肉がこもっている。
クリスチャンは説明するまでもなく熱心なキリスト教徒を指す。この単体だけならまぁそこまで気にしないのだが、次に引っかかったのがジョシュだ。
ジョシュっていうのは、イエスキリストの本来の名前だったヨシュアの訛った名前でもある。名前だけで言えば、キリスト教徒が神を出し抜くという形になるのが若干、まあ若干いやらしい。
となると、他の名前についても何かしら意味合いが含まれるのではないのかなと思って探してみた。
ペレはなんか聞いた覚えがあるなと思って探したところ、炎の女神の名前だった。今回、この映画の中では、炎は結構重要なキーワードだ。最終的に、生贄をささげるのが炎の役目であるので、生贄を持ち込み村にささげるペレにはもってこいの名前だなと思った。
マヤもなんか気になるーと思って調べたら、近しい名前に女神がいたことを思い出した。マイアっていう。マイアはギリシア神話とローマ神話に出てくる女神の名前で、今回関係が強そうなのは、ローマ神話に出てくる方。ローマ神話のマイアは、春を司る豊穣の女神であり、マイアの祭日である5月1日は供物が捧げられた。ちなみにダニーは今回踊りに勝って、メイクイーンとなった。メイとはMay、5月のことである。
マークは何も出てこないというか、一般的な名前すぎてちょっと思いつかない。
ところで主人公のダニー。クリスチャンにあってダニーに何かないわけない!という決めつけのもと調べてみた。クリスチャンからキリスト教関連で何かないかしらと調べたところ、いらっしゃいましたわよ、預言者としてのダニエルが。あ、ダニーはダニエルの愛称なのよね。また、ダニエル書というのもある。
でもそこまで関連しそうな内容は特にない。気になるといえば、「デジタル大辞泉」によれば、「前2世紀ごろシリア王アンティオコス4世の迫害に苦しむユダヤ人を励ますためダニエルの名で書かれたとされる」とある。ユダヤ人かぁ。ちなみに、Wikipediaによると、アリアスター監督の両親はユダヤ系の詩人である。