インド占星術勉強しているのだが、インド占星術こういう考えがベースにあるよねっていう感想をまとめておく。
惑星は神様の化身
インド占星術で必要な概念のひとつがコレ。惑星は神様の化身である。その化身から波動を受けて私たちをたら閉めるという概念である、インド占星術で惑星がどの星座何室にいるかで自己分析がされるので、惑星はとても重要である。その惑星がイコール神様だという考え方が必要なのは、惑星に年齢や覚醒状態などが設定されるからだ。神の化身という前提がなければ石の塊に年齢???となぞが深まるであろう。
惑星が神の化身ならば我々も神の化身ということ?
惑星が神とすると、
惑星=神
我々=惑星により定まる
ゆえに
我々=神により定まる
という、乱暴な三段論法が成立する。それはどうなのか、と思われるが一応、宇宙全体を表すブラフマン=我々を表すアートマン、という考えもある訳*1なので、インド占星術が成り立つ条件として、我々=神の一部、という考え方は証明済みである。
インド占星術にはとにかく神様が存在する
振り返ると、インド占星術にはどこもかしこも神様がいる。属性を決める部屋に支配する惑星=神様がいるし、月の巡りで決められている27分割されたナクシャトラにもやはり神様がそれぞれ存在する。
ここまで多いといっそ神様というのは我々を動かすための変数のようなものと感じてくる。ところがこんなに多いと絶対覚えきれないので、物語にしやすく人の形をとることにして親しみやすくなったというのが、インド占星術の神様の取り扱いなのではと思う。
現代で言うところの脳の部分が神様な感じにも思えてくる。現在脳科学とインド占星術で異なるのは、脳科学では動作の因果を証明するが、我々はどういう理由でこういう行動を行うか、という理由の因果は証明されない。一方インド占星術では、そういう理由を含めた因果を解釈しようとする。でその因果の因となるのが、神様と自分の過去生による行動によるものだとされている。
結論、インド占星術でなんでこんなに頻繁に神様と出会うのかは、なぜなら我々の行動の因がの因を担っているからである。
インド占星術の概念にはベクトルがある
インド占星術で重要なのはベクトルの考え方である。惑星は神様なので、好き嫌いがある。あの惑星が好き、あの惑星が嫌いとあって、これが双方向には成立しない。月は水星を好きだが、水星は月はまあ普通とかそういう成り立ちである。
この、何がどこに及ぼすのか、というのは惑星毎の好き嫌いで重要だし、あとは惑星の機能的吉凶を決める際にも重要となる。
そう、機能的吉凶である。惑星はもともと吉凶が決まっていて、これを生来的吉凶と呼ぶ。太陽とか火星とかあつあつ系は凶で、あと土星も忍耐のため凶とされている。金星木星は吉、水星も条件によるが吉より。月は満月に近いと吉だが、満月よりじゃないと凶である。
ところがである。
生まれた時に配置された場所によって、このもともとの吉凶が変わるという。変わった時の吉凶が機能的吉凶と呼ばれる。しかも、この機能的吉凶が影響されるのは、星座に位置している惑星、ではなく、その星座を支配すると決められている惑星に吉凶が影響されるのだ。
インド占星術では、こういう方向性を含めた考え方がそこらかしこに存在するので、何が何に影響するのか、というのを厳密にとらえていく必要がある。
とりあえず今把握しているのはこんな感じ。
*1:所謂梵我一如(ぼんがいちにょ)