works4Life

GTDメインのタスク管理と生息してますログを記載しています。

帰ろうとする時に感じる薄暗い不安感を解消するためには?

 その日私は会社でWeeklyReviewを行い、気がかりなことの総てのステータスを確認し終えた。足取り軽く帰路に立ったその時、私は初めてようやく気がついた。いつも傍らに感じていたあやふやな薄暗い不安感が消えていることに。

傍らのカオナシ

 私がGTDをはじめに、適した仕事術を躍起になって探してきたのには、いくつか理由がある。もちろん生産性を向上させるためでもあるし、残業をしたくなかったからでもあった。その中には、ほのぐらく傍らに寄り添うあやふやな薄暗い不安感を取り除きたい、というのもある。

 あやふやな薄暗い不安感――それは、目立つことはないけれども、だからといって存在自体が消えるわけでもないものだ。だらだら残業をしてしまうぐずぐずした自分、帰る時になんともいえない後ろ髪をひかれるような気持ち、休日のふとした時に思い出す仕事のこと、そんな折にそれはひょっこり顔を出す。千と千尋の神隠しに出てくるカオナシのように、微妙に存在をアピールしつつ、忌避されつつ、ふっとそこに現れる。

 もちろん私は、こんな鬱陶しいものはバイバイしたい。しかし、どこをどうしたらこのもやもやしたいわれなき不安感は取り除かれるのだろうか?

汝、働け。しからば去らん

 まず私が考えたのは、こうだ。時間中にちゃんと働いていないから帰るのが後ろめたいんだ、と。つまりは生産性の問題だと思った次第。生産性が向上すれば、その不安は自ずと晴れるだろうというのが私の予想だった。

 そんなわけで、時間と作業の計測に格闘した。しかし哀しいかな、結果はむしろ、生産性を向上させるにも限度がある、ということ明らかにしただけに終わったのである。

 作業と作業の間に挟まれるインターバルの時間、作業自体を管理する時間、同僚とのコミュニケーションを交わす時間、会社の勤怠や交通費を申請する時間、等々。もちろんメールを読む時間や、休憩をとる時間も大切。これらは、直接的には生産性には関与していない。けれども、こういった合間合間の時間があることで、生産性は向上している。なんにせよ、作業する時間を延長することで生産性を向上するには限界があることを、私は改めて知った。

 しかも、前提を覆すような出来事が起こってしまったのだ。

働けど働けど 我が不安無にならざり

 その日は通しの仕事だった。会社に来てから帰るまで、ぶっ通し。仕事を管理する時間も勤怠や交通費の時間は取られない。でもちょっとばかりはコミュニケーションの時間はある。これぞまさしく生産性の一番高いはずの日だ。流石に今日はあの不安ともおさばらだろうと、私も意気揚々としていた、だがしかし。

 家に帰る私の背後には、やっぱりもやもやした薄暗い不安感が後からついてきた。

 それはつまり、生産性と不安感は全く関係がない、ということだ。仕事の勤勉さ加減によって不安感が生じているわけではないことが確定したのだ。

 だったら、この薄暗い不安感はどこからやって来るのだろう?

鬼ごっこ

 ふと思いついたことだが、この薄暗い不安感と鬼ごっこに出てくる鬼は、とてもよく似ている。いずれも自身が変動し、周りから忌避されて、私たちはそれから逃げようとする。この相似形の一つを紐解けば、もう一つへの解にも近づけるかもしれない。そんなわけで、ちょっと寄り道をして鬼ごっこについてちょっと考えてみた。

鬼ごっこの危険な状態

 鬼ごっこは、鬼につかまってしまうとアウトだ。だから、鬼ごっこで危険だな、と思われる状態というのは、こんな状態である。

 一つ、鬼の居場所がわからないこと。これはとても危険。居場所がわからないので、背後から忍び寄られては一巻の終わりだ。だから、鬼の居場所を知っておくことは非常に重要である。

 二つ、鬼との距離が近いこと。距離が近いと、鬼から逃げることが難しい。逃げるのに出遅れてしまうと、いとも簡単に鬼につかまってしまう。だから、鬼と離れていることが大切だ。

 三つ、鬼と対峙しているのが自分自身のみであること。例えば、複数の人間の中に潜んでいることを考えてみよう。この場合、鬼は他の人にもつかまえにいくので、ターゲットが自分から反れる可能性が高くなる。だから、回りが複数存在する場所に移動することが重要だ。

 これをまとめると、鬼から回避するには、以下のようなことをすればいいことがわかる。

  • 鬼の居場所を毎度確認すること
  • 鬼からよく離れていること
  • まわりが複数いる場所に隠れること

薄暗い不安感の危険な状態

 今度はこれを、薄暗い不安感について考えてみた。

 今まであまりちゃんと考えていなかったけれども、不安感の中身は一体何だろう? いずれにせよ、将来何かしら危険な状態が起きやしないか、という不確かな未来に起こりうる危険を心配している。

 鬼の居場所がわからないこと。これは、危険な未来がいつ起きるか、どのように起きるかまったくわからないことと考えてもいいだろう。確かに突発的におきる危険の方が予め予測された危険よりも遥かに危険性が高い。

 鬼との距離が近いこと。これは、危険の発生時期が近づいていること。きたるべき危険に向けては準備が必要だが、その準備をする時間が限られては充分な整えを行うことができない。

 鬼と対峙しているのが自分自身のみであること。これは、危険を回避するメンバーが自分自身のみ、ということだ。これは確かに非常に危険だ、メンバー間での比較検討をしないままに対応を実施してしまうので、かなりのハイリスクになる。

 つまりは、いわれのない薄暗い不安感は、(1)危険が発生するところを予測すること、(2)危険の発生時期から離れること、(3)危険について複数の人間で共有することによって逃れられるんではないかということを示唆している。る?

危険を予測するってどういうこと?

 上で示した3つの方法はちょっと抽象的なことでよくわからない部分がある。まず一つ目の危険が発生するところを予測するってどういうことかを見ていく。

 危険を予測する、といってもねぇ、危険は仕事が大量発生したり、全く時間がない時に仕事が発生することで簡単に危険は生じる。でもその発生する仕事っていうのは、もともとのプロジェクトからみれば、来るべき未来、ゆくゆくは発生する仕事ということだ。ならば、その来るべき仕事をある程度予測しておけば、すぐに対応することができるんじゃない? そしてまたこうもいえる。危険がやってくるまでカウントダウンができるならば、それこそ危険と今いる場所の距離感がわかるというもの。

 だから、プロジェクトが今どこまで進んでいるかと、これから行くべき道すじが少なからず見えているといいんじゃないかな、と思う。

危険の発生時期から離れるってどういうこと?

 次に危険の発生時期から離れること、ということ。これもちょっとわかりにくい。危険は先ほども言ったように、本来危険なものではなかった。けれども、同時に大量に発生したり、あまりに極端な時間で発生したりすることで危険になってしまう。だったら、前もって進められる仕事は進めていれば、この危険からは離れるんじゃないかってことを言いたい。当たり前だけれども前倒しが大切ということ。

そもそもどうしてだらだら残業するの?

 薄暗い不安感に対処する方法が明確になった今、今更ながらに、だらだら残業する理由を考えてみた。

 だらだら残業してしまうのは、早く帰って実は後から大変なことになってしまうんじゃないか、という恐怖感がある。ホントに今帰っても問題ないの? 後からすごいことになったって知らないよ? そんな声なき声を感じてしまい、ぐずぐずぐずぐず椅子から離れてしまうことがままあった。

 椅子から立ち上がれなかったのは、今の状態で本当に大丈夫なのか、その判断がつけられなかったからなんだろう。

薄暗い不安感から解放された理由

 最初に、薄暗い不安感が過ぎ去ったと書いたがそれはどうしてか? もちろん、今までに導いた、薄暗い不安感を逃れる方法がいつの間にか実現されていたからだろう。

 それは、WeeklyReviewを実施することによって(1)すべてのプロジェクトとその進捗を最新の状態に同期することで現在位置を把握することができ、(2)それらのプロジェクトに対して、自分自身ができうる限りのことはすべて行っており、(3)なおかつ、それをマネージャに報告することで情報を共有すること、これらすべてを実現されていた。

どうして生産性だけじゃダメなの?

 一番初めに行っていた生産性だけをチェックするのがどうしてダメなのかを改めて考えてみた。生産性は数学に喩えるならば、線分の長さのみを確認するだけの行為にある。しかしながら、プロジェクトは充分な長さの方向性のあったベクトルである。ここで必要なのは、長さと方向性であるが、生産性ではそのうち方向性が欠落していた。だから、生産性があがったといっても、それがプロジェクトに対して寄与しているかどうかを確認することができなければ、意味がないからだろう。