GTDについて再度書き直そうとすると、どこから書き始めればいいのかよくわからなくなってしまった。ので、とりあえずなんとはなしに思い出すことから書き出した。
GTDは、アイデアが達成すべきことが消化されるまでのシステム
私はGTDの側面の一つとしてこう思っているんだけれども、あまり理解されないことの一つに、タスク管理の消費フローとしての側面というものがある。
というか、一つの思いつきからはじまって、それなりのなすべきことに成長するまでに至るまで、そういった成長過程までをも含んだプロセスを取り扱うのに、GTDはうまく当てはまるんじゃないかと思っている。
GTDとおうちの掃除術の取扱は結構似ていいと思う
GTDと掃除術って、結構似通ったものがあると思っている。
GTDも掃除術も、公共的な学校で習うものまで体系化はされていないが、生活をするためには必須項目の一つであるということは同じ。
人での取扱の粒度が異なる点、多少の習得度合いも人によって異なる点、その人の中においても忙しかったりと行った状況では実行レベルが異なる点、これらの点において二つは非常に似通っている。と思う。
今はどうかよくわからないが、GTDは、一番このようにするのが理想的、というものを最初に紹介されてしまったために(もちろん、最初に理想系が提供されるのは一番恵まれているが)、GTDは完璧に実行しなければ効果はできない、と思われがちであるのが残念である。
ところが、GTDは、ある程度のレベルでも実行しさえすればうまくいくものだし、状況によっては、そんな完成度の高いGTDを実行せずともうまくいく。
GTDはそろそろ、剣道や柔道のように、実行レベルといったものが必要になってきたんじゃないかなと思う。
それは、GTDが指し示すところの、高みに上るためのレベルとはまた別で、GTDを実行するための粒度の細かさのレベルの方面で。
昔そんな風にGTDのレベルを作ってみた人もいたんだけれども、ちょっと内容が現実じゃなかったんで浸透はされていなかった。かくいう自分もそういうレベル設定を作ってたりもする。
信頼できるシステムとは/信頼できるシステムはツールに寄らない。
GTDとは長い付き合いで、2006年?2007年?あたりから導入していて、それからGTDのツールは変われども構成自体はずっとGTDを利用している。
GTDは、どちらかと言えば、忙しい時の方に適したやり方なので、忙しくなくなると、途端にGTDのサイクルを放ってしまう癖があった。しかし、結局はGTDに戻ってくる。
なぜか?
なぜなら、忙しさもまた途端にやってくるからだ。忙しくなってくると、どのやり方が一番いいかな、と考えているうちにGTDに戻ってくるので、今では忙しかろうがそうでなかろうが、GTDのスタイルをベースにタスク管理を行うようになった。
そこで重要になってくるのが信頼できるシステムだ。
信頼できるシステム、というとなんとも把握のしづらいものではあるが、「そこを漁りさえすれば、きっと入っているに違いないという確信の持てるシステム」のことである。
例えば家。家に帰れば、自分の物はその場所に置いてあるはずだという確信がある。自分の所持するもので、外に出しさえしなければ、確か家にはあるはずだ、と思うだろう。そうすんなり思うことができるのが、信頼できるシステムである。
「あそこにあると思う!多分」
という言葉が迷うことなく言えるならば、アソコは自分にとって信頼できるシステムとみなしてよい。
ところが、タスク管理というのは、この信頼できるシステムというのが構築できるまでに難しい。こればかりは、他の所に浮気をせずに書いてしたためるという毎日の習慣、そして実際にそこからタスクを確かに取り出すことができるという実感のもとに構築される。
とにかく、散漫にいろいろな場所に浮気して書き散らしていると、信頼できるシステムは育たない。
その昔、この信頼できるシステムというのは、ツールは変えられないと思っていた。が、実際はそうではなく、信頼できるシステムというのはツールの替えが可能だ。
家を引っ越すのと同じように、ツールを変えていく。となると、信頼できるシステムというのは、ツール自体を指し示すのではなく、あるひとっところにタスクを預け入れ続ける行為というか自分自身の習慣のことを指し示すものなのだと認識を改めた。