■フルーツとムースは相容れないものだと思っていた
私はフルーツのムースケーキは好みではなかった。そこには特に細かいこだわりとかそういったものがあるわけではなく、選ぶならなんとなく別のケーキ、という風だと思っていた。
しかし、今回のこのケーキによって、私はどうしてムースケーキが好みではない、つまり思った程にはおいしくないと感じていたかを、まざまざと知ることとなった。
私にとっては晴天の霹靂ともいえるかもしれない。それはちょっと言いすぎなんじゃない? でもまさか、「自分てこういう理由でこの種類のケーキが苦手だったんだ!」とケーキから教えられることはあっただろうか。そしてこのケーキは、問題を明示するだけでなく、解決案まで提示したのである。
■フルーツのムースケーキのコレじゃない感
私はフルーツと組み合わせられたムースケーキについて常々コレじゃない感があり、その結果ムースケーキは好みではない、つまりおいしいとは思ってなくて、ケーキを選ぶことはほとんどなかった。
ケーキにおいて、土台がムースでその上にフルーツが乗っかっている場合、食べた瞬間がっかりを通り越して無感動な気持ちである。というのも、フルーツはジューシー、だのにムースケーキはもったりとした食感で、同じ場所にいる必要あんのか? と疑問を感じずにはいられなかったからである。
これらのフルーツのムースケーキは、ドレッシングが水と油に分離したのと似たような感じがあって、「ケーキの上にフルーツのせればその分華やかでいいでしょ」という意図は感じられるんだけれども、じゃあ味的に何か寄与することを感じるかというと皆無であった。ムースケーキのベースが同じフルーツ使ってます、ていう理由で揃えでフルーツ飾ったら味とみかけはそこそこいいよね、的な。
同じケーキの中にありながら、この別居中の夫婦がオシドリ夫婦として会見を見るかのように、二つの素材が同居する意味を感じず私はケーキを食し、そして食した後もその印象は変わらなかった。
――という感情が実はフルーツのムースケーキについて考えていたとは到底思うまい。私だって今回初めて知ったことであって、非常に驚きである。しかしそれがわかれば、今の今までムースケーキを遠慮していたかも、非常に理解できる。
もちろんショートケーキだって、生クリームとスポンジとフルーツの使ったケーキであって、フルーツとその他、という構成から言えばムースケーキと変わりない。なのになぜムースケーキをそこまで遠慮するかと言えば、合わなさすぎるの一言に尽きるであろう。
さて前口上はともかくケーキである。
■フルーツとムースのケーキが好みじゃないと言いながら選んだその日は暑かった
フルーツとムースのケーキは好みではないと言っておきながら、私がその日手にしたケーキは、フルーツとムースっぽいケーキであったのだ。その日私たちは京都に旅行に来ており、おいしいケーキとパンを食べに行こうと、京都駅から四条烏丸駅まで上り、そこから下っていき各々の店を行脚していた。
夕方から活動していたとはいえ、その日の京都は暑かった。目的のサロン・ド・テ オ・グルニエ・ドールに着くまではそこそこ歩いた。それで私の選択肢はぶれてしまい、いつもは選ばないであろう、フルーツとムースっぽい組み合わせをしたケーキを選んでしまった。これが大成功だったのである。
選んだのは日向夏のケーキ。
一口食べてうまさ爆発である。
このケーキ、通常のケーキよりいろいろ凝っていた。
まず土台の方。土台はムースと見せかけておきながら実はそうでなかった。ムースにしては脂っこく、だからと言って知る中のバタークリーム程ではない。お店の人にたずねてみたら、カスタードとバタークリームをまぜてつくるムースリーヌと呼ばれるものであった。
じゃあ上にかざってあるフルーツがどうかというと、こっちも何がしかの手を加えてある模様。日向夏があっさりした柑橘類とはいえ、ここまでの甘味が出るわけではない、と思うとやはりそれは、フルーツポンチにして若干甘味が加えられていたのだろうという。
この二つの工夫された素材に組み合わせによって、合わせて食べてますますおいしい、混ざって食べるのが一番幸せだ、という食べ方になる。
■混ぜて食べておいしいにはワケがある
今回初めて思い知ったことだが、混ぜて食べておいしく感じるにはそこそこの条件が必要になる。
フルーツとムースが合わないのには、(1)甘さ(2)食感(3)粘度といった3つの要素が考えられた。
(1)甘さ。フルーツはその種類によっては柑橘類が多かったり酸味が強い。なのでムースのベースと比べると甘さが随分離れてしまっている。イチゴ大福のように、いっそ別のラインでムースで甘さを追求すればいいのだけれども、酸味のあるフルーツを組み合わせるムースは大概において、あっさりした甘さになる。なんでー。
(2)食感。じゃあそこは食感でフォローすることも可能かもしれないが、なんか合わないんだよね。フルーツは果肉でそこそこ大きな粒上で水気もあってプリッとした感じなんだけど、一方のムースは少しかたさがある。水気が組み合わさる可能性もあまりない。物によっては、ムースの方を限りなくやわらかくすることで、フルーツに合わせるムースケーキもあるにはあるが。
(3)粘度。この単語が適切かどうかはわからないけれども(2)の途中で話した「水気が組み合わさる可能性」という部分に注目した基準である。固形物とは別に、水気が組み合わさりやすいかどうかってあると思うんだよね。だいたい(2)と(3)は連動していて、どちらかがうまくいけば残りもうまくいっていることが多い。とはいえ、サバラン(スポンジにアルコールシロップ含ませたケーキ)のように(2)と(3)を別々に考えなきゃいけないものもあると思う。フルーツとムースも水気が組み合わさる絶妙さがあると思うが、まぁそうそうにないし、あったらもうちょっと私はムースケーキを食べているはずだ。
そして、今回のケーキはこの3つが揃った。
(1)の甘さについては、フルーツも土台もどっしり甘くしてあって揃っており、(2)食感は、フルーツをポンチにしてばらっと感をなくし、ムースはムースリーヌにすることでやわらかさをして近づけるようにしており、(3)粘度は、フルーツはフルーツポンチをさせることでムースと混ざりやすいようになっていた。
いかにそのケーキがおいしいかを言葉に表すと陳腐なものであるが、もう一度京都に行って食べたい程にはおいしいといえば、その美味さは伝わるだろうか。
■職人は何を思って作っているのか
こういう体験にあった時に考えるが面白いのが、それを実現した人――今回はケーキ職人となるが、一体どんなことを考えてこのケーキを作ったのか、ということだ。
「フルーツとムースのケーキはコレジャナイ!俺が思うおいしいフルーツとムースのケーキはこれだぜええええ!!」と思って作ったかは定かではないが、きっと並々ならぬ考えつくした経路があっての結果、このレシピのケーキに至ったんであろうと思う。
思えば、ケーキ職人のレシピをどういう意図でどういう風になることを想定してなんて、食べる側からは知りうることはない。いかに屁理屈をこねてこういう風にと想定して作ったケーキはあっても、ほとんどは「おいしい!」の一言で終わってしまうのが常である。
けれども、私が一番楽しくなるのは、きっとこんな風なものを食べたい、こんな味になるようにしたい、と作り手の意図を垣間見る時であり、その時私はただのケーキを食べるのではなく、それまでの道なりと合わせて一緒に飲み込み、その作り手の心の内までダイブできたかのような錯覚に陥るのであった。
まだ作っているなら、また京都に行って食べたい――オ・グルニエ・ドールの日向夏のケーキ。
■オ・グルニエ・ドール(食べログ) [browser-shot url="http://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26000471/" width="600" height="450" target="_blank"]
■パティシエ西原さんのインタビュー記事 [browser-shot url="http://www.e-sakon.co.jp/cakeshop-intro20.htm" width="600" height="450"]