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【昼休み日記】誕生日だよ!

[caption id="attachment_277" align="aligncenter" width="300"] Alexas_Fotos / Pixabay[/caption]

私、本日誕生日です。わーいわーい!何度目かの誕生日ですが何度目かは聞かないでください。正しい年齢をいえる自信があまりないので。。

 

思い出すのが苦手な人生

こういう節目の折に、あのときこんなことあったねーと思い出すんだろうけど、よくよく考えたら私思い出すのが本当苦手だった。今でも大昔のことを思い出そうとしても、衝撃的なトピックや、くやしかったり悲しかったり感情の触れ幅の大きかったことなどだ。

特に最近ツイッター#フォロワーの8割くらいが体験した事が無さそうな体験タグをよく見てるんだけど、これが結構面白い。最近から昔の自分のできごとの中で一番アピールしたい出来事を持ってくるので、そこで性格が出てくるなぁと思う。私はこれでツイートするなら「田んぼにチャリンコでダイブした」だろう。ほかにないのかと問われるとなかなかないよね。

とまあ、思い出すの苦手なんだけど、朝から同居人に誕生日を祝ってもらって、行きすがら、昔はどうだったかしらと思い出してた。幼少の頃はピアノの練習に明け暮れたり、中高大と気持ち的に暗黒時代だったなーと思ってた。母が占い好きでどこかの人に占ってもらってきたらしいんだけど、私の人生は「爺婆→赤ちゃん→青年」みたいな送り方をする、みたいなことを言われた覚えがある。きっと母は忘れているし、私もその記憶がおぼろげすぎてうそかまことかわからない。でもその言いっぷりはなんとなく覚えていて、自分の今までと照らし合わせてみるとそうかもしれないと思ったりもする。まぁ、解釈だけの問題なのでどうとでもとれるが。

最近だと鬱気味っぽくなったりして大変だった時期もあるし、大変だったこともあるけど、人生総じていえるのは今が一番幸せだということ。学生の頃はペシニストの熟成もいい具合でとにかく全世界の不幸を抱えてるようなばからしさだった。大人になんてなりたくもなかったし、かといって今の自分に満足してたかというとまったくもってそんなことはなく、大嫌いで嫌気がさしてた。エゴイスティクで自分自分ばかりに気を向けていた。

この頃の自分に対して誰かが回答をくれたわけではなく、結局のところ最終的には自分でケリをつけなければならなかった。そんなひどい私だけど、私だけは私を見捨てないで行こうと決意した。つーか自分を責めるのにも疲れた。その決意として私は自分自身に対してあまり攻めるようなことはしなくなったし、何かができなくてもその結果を自分だけがかぶるのだということで納得した。

たぶん責めるのは簡単で、私はその現象を今を受け入れていないからなんだと思っている。現在はもう既に進んでいるけれどもそれを受け入れたくないから、過去をイマココとし、既に知りうる未来という期待どおりにならなかった今とを比べて責めるのだと思う。その過去を一旦切ることができれば、たぶんに責めすぎることもないだろう。

いずれにせよ、感情は何がしかの差分の結果だろう。

 

なぜ日記を書くのか

というような気持ちの過去なので、正直思い出したくないのが実情である。さて今現在について。

昔を通して私が日記なりなんなりテクストを書いて誰かに見せようという行為は、やはり何か伝えたいものがあるのだと思う。たいしたことを書いているわけではないけれど、やっぱりビューが増えて誰か見ているのを知るとうれしい。

書いたところでその中で言いたいことのどれだけが伝わるかなどたかがしれてる。ということを私は知っている。それに対してできることのすべてをしているわけではないけれど、それでもその気持ちが電波してその人が何かしら心を動かされたり何かしでかそうとしたり、その人をソソノカスことができること、それができるときがあるからやっぱり書くんだろうと思う。

まとまりのない文章だけど、まとめると、今が一番楽しいよ、これからも生きていきたいなと思う。あなたとどこかですれ違うこともあるだろう。今年一年また適当によろしくお願いします!