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【雑記】同居人の口癖「死にたい」、その衝撃的な理由

 

 同居人とは長らく同居して10数年以上経つ。その中で、私がなおしてほしいがなおらないという同居人の癖があって、それが口癖が「死にたい」なのであった。

 同居人は割と「しにたい」「しにたい」と言う。正直私はこの言葉を聞くだけでも嫌だった。一緒に住んでんのに、あんまり楽しくないのかな、とも思う。私も聞いているだけで、気分が引きずられる。

 というわけで、結構前から頻繁になおしてくれと、私はアドバイスなりお願いしてきたのだがそうはイカの塩辛、長らく経っても同居人の口癖はなおらなかった。だが、今日話している時に突如友人が言ったのだ。

 

「私、自分が『死にたい』って口癖の理由がわかった!」

 そう、言うのだ。

 長い間なおらなかったその口癖が、理由がわかっただと?!

 

友(同居人)「この言葉って自分に対してだけで言う言葉で、誰か別の人に対して何かされた時には言わないんだよね」

私「確かに」

友「で、じゃあどういう時にこのセリフを言うんだろうって思ったらさ、いろいろ考えてるのが面倒臭くなって、それで死んだら考えなくてもいいじゃん、だから『死にたい』って言うってわかったんだよ!!」

私「は?」

友「だから、例えば足が痛くて、どうして足が痛いのか考えなきゃいけないんだけど、でもどうやって調べたらいいのか病院に行けばいいのか行ったらどれぐらい時間とお金がかかるのかを考えるとめんどくさくなって、死んだら考えなくていいじゃーん、で、『死にたい』と」

私「……マジで?!」

友「うん、マジで!!」

 

私「え、そんな面倒くさい程度の次元のことを『死にたい』と表現していたの?」

友「うん」

私「じゃあ、頻繁に言うから、一緒に住んでんのにそんなに毎度毎度絶望的な気分で人生になっているのかと心配していたけど全くそんな雰囲気でもなく?!」

友「だからその口癖言わないようにってのみこが超怒るのかわかんなかったんだよね。HAHAHA」

私「はぁ?!」

 

私「はぁぁぁぁあ?!?!」

 

私「はぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁあ?!?!?!?!?!」

 

使い道に軽々しいにも程がある

 長く、その言葉を傍で耳にしながら苦々しく思っていた。

 確かに、そんな大したことない状況でその言葉を同居人は使っていた。

 

 例えば、ウェブサービスのアカウント登録でうまくいかなくなった時。パスワードがエラー理由で画面が戻ったら、クレジットカードの項目も自動的に消えてて、それを気づかずにパスワードだけ更新したらまたクレジットカードエラーになって画面が戻った時、同居人は言った。

 「死にたい」

 

 例えば、電卓をたたきながら話をしている際、その電卓の項目が何度もエラーになってしまった時、同居人は言った。

 「死にたい」

 

 この二つの事象だけでも、いかに大したことない事象ですべての現象が嫌になり、その身を海に投げ捨ててしまおうかそんな気持ちになるなんて、なんて最悪の悪循環を繰り返しているんだろうかと、私なりに心配していたのだ。

 だってさ、「世の中うまく行かない→私はダメな人間だ→生きているに値しない→死にたい」という思考展開の末に、最終的にこの言葉がゴールになったんだと思っていた。

「死にたい」と。

 少なくとも私はそう思っていたので、できれば本当に使ってほしくないと思っていたのだ。

 

 なのに、どゆことお前ふざけんな、そんなあからさまにどう考えてもその次元って、私が「面倒くさい」とか「おとろしい」とかの次元の話じゃねーか、そんな軽々しい次元の話を、「死にたい」の言葉で終わらせようとはどういうこっちゃねん、ネット界隈ではその言葉は使わないように制限されてて、わざわざ使うのにタとヒで表現されるぐらいの規制される言葉やないかい、それを簡単に言いくさりよって、必死で「死にたい」言うてる人に失礼やないかい?!?! だいたい自分言うてて結構悲惨気味になってんのにそれに気づかずにそのセリフ言うてたん? 自分が言うてたやん、「言葉には言霊があるから滅多なこと言っちゃいけないよ」って。滅多なこと言うてたん、自分やないかい~~~?!?!?!?!

 

言ってた本人は、実際しんどそうだった

 タネを明かせばなんてことはない次元の話だったのだが、その言葉を口にしていた同居人は、実際しんどうそうだった。しんどそうというか、悲壮感漂っていた。だから、なんとかして言うのをなくせば、その言葉から連想される感情には辿りつかずによくなるはずだ、だから私は使わないように促してはいたのだ。

 しかし、真実を知った今では、深刻な長年の議題に、こんなにも振り回せれていたのかと思うと、書いている間にも怒りが沸々と沸き起こってくるのが。。いやマジで、そんな次元のことをまとめるのにその言葉を使っていたのかと思うと悪手にも程がある。

 

2012年頃には言っていた同居人の口癖

 nanapiというライフハックのレシピサイトがあった。今は更新停止されてるけれども、昔はふつうのユーザにも編集ができた頃があった。その昔、この同居人の口癖をなおしたくて、やってた試みをまとめていたのがこれだ。今は公開終了になって、webarchiveへのリンクなのだが、要は罰金制度による防止である。

 しかしながら、今回記事にも書いている通り、この罰金制度は一時的な効果はあったものの、根絶治療には至らなかった。

 言いたいことは罰金制度は一時的効果しかないということではなく、同居人のこの口癖は、こんなにも昔から存在していたという事実である。

web.archive.org

 

どうしてこんな拗らせた口癖になってしまったのか

 今回、同居人がその言葉を言ってしまうのか露見した今、同居人の口癖に目くじらを立てなくてもいいようにはなった。

 しかしである。

 そもそも普通ならば「面倒くさい」という言葉に陥らず、こんな中二病的な用語を同居人は利用するようになってしまったのか。そういえば同居人はこんなことも言っていた。

 

「昔は面倒くさいって思ったことがなかったんだよねー。けど、面倒くさいって思うのが面倒くさいから思考停止したい、で、死にたいにいっちゃったんだよねー」

 

 確かに同居人は、昔はすごくアグレッシブだった。今でもアグレッシブだが、それ以上に行動力があった。だから「面倒くさいって思ったことがない」ていうのには嘘はないと私も思う。。そしてその言葉が真実ならば、面倒くさいを通りこして死にたいにまで行き着くのは、ありえなくは、ないかな。

 とはいえ、その口癖のチョイスは悪すぎた。それは確かである。

 

どうしてこんな拗らせた口癖になってしまったのか(再)

 で、今一度同居人からどうしてそんな風に言うようになってしまったのか聞いてみたところ、次のような回答があった。

 

「うーん、まあ切羽つまってたんじゃないかね。これ以上考えるとヤバい、みたいな」

 

 同居人が言うには、考えるのがいっぱいいっぱいで、何か問題があるとそれをちゃんと改善するために考えなきゃいけなくなる、それを回避するために、荒業の言葉で、考えることをシャットアウトする暴挙に至ったのではないか、ということだ。

 確かに思考停止のための言葉は自分にもある。自分の場合だと「面倒くさい」だ。でもやっぱり「死にたい」は、ちょっと、その、極端すぎくない?

 

「これで、口癖はなくなるかもね」

 

 うん、せめて「面倒くさい」までに浮上させてあげて。本人のためにも!

 

どうしていきなり理由がわかったのか?

 ところで、どうしていきなり理由がわかったのかというと、自分はどうしてこんなに「死にたい」と考えてしまうんだろうと、その理由を今まで考えてこなかったが、つい昨日その理由を掘り下げて考えてみたらしい。

 その理由を考えるようになったのは、毎回人に会うたびに同居人が「嫌われてないかな」と言うので、私が「嫌われる理由があるの?」とたずねたからだという。

 というのも、私が不思議に思っていたことに、同居人が人と会うたび「嫌われてないか」と後から不安になって言う。相手を不愉快にさせるような事象があるなしにかかわらずだ。何か悪い言葉を言って、気まずい雰囲気になったのならともかく、全員が大いに笑って仲良く解散したとしても、同じセリフを言うのだ。前者のようなことがあって、この心配になる言葉が出るなら順当だ。だのに大団円に終わったにも関わらず言うのはどうなのか、見あたる原因がないにも関わらず言うのは、そもそも考えて言ってるのだろうか、と。

 その再検討を、自分の口癖に当てはめて考えてくれたようだった。

教訓

 今回のことは大きな教訓となることだろう。

 

「死にたい」って言葉は基本的には言わない。

 口にする理由がどうであれ、誤解(?)される言葉で悲劇的な運命しか展開しない。本人にもその気がなくても不幸な気分に陥れるし、その言葉を聞かされる回りの人間にも悪影響しかない。

 

やっぱりブログは一時置いてから公開するべき

  この記事、一度公開したんだが、第一の衝撃が激しすぎて、私の偏見だけが先走った怒りにまかせた悪い文章になってしまった。 

 今となっては笑い話となるが、毎回同居人がこの口癖を言っているときは、本当につらそうに言っていた。そういう過去のことをすっかり忘れて、明るみになった事実にびっくりしすぎて、衝撃のままに記載してしまった。同居人は、同居人なりにそこに至るまでに大変な状況があったに。怒ることがゴールじゃない、理由がわかってよかったね、おめでとう、これが本当のゴールなのだと明確にしておきたくて、再編集した。

 

 感情は、一つではなく、順々に発露する。だから、ある程度の感情が出し切った方がいい。それが、ブログは一時置いてから公開するべき理由だ。

 勢いに任せて書くとえらい目にあう、ということも体験した一件であった。

 

 ちなみに一番上のイメージ画像は、同居人が口癖を言う時の心のうちを表現したもの、ではなくて、私がその理由が判明した時最初の心のうちを表現したものである。死神は私。