それはさながら土木工事のようだった。
同居人が言うには、私が帰って来た時、私の様子はものすごく不可解なものであり、何かしらしょげている模様であると言った。それは、30分足らずの出来事だというのに、私の心を深く傷つけた。ついでに歯も傷つけた。治療のためだが。
そう、歯医者に行ってきたのだ。
たかだか30分の歯医者で、私はうちしがれて帰って来たのだった。
今日は虫歯があったのでその治療だ。歯と歯の間の虫歯だったから、結構な分量を削ってかぶせものをつける。1回目はかたどり、2回目はかぶせ、という治療計画である。今回は1回目だ。
1回目はかたどり。
そう、かたどり。
かたどりをするためには削らなくてはならない。
注射を打つ。
ずいぶん昔と比べたら歯医者もバージョンアップした。
私の歯医者の恐ろしい記憶といえば、歯肉に直接麻酔注射を打ち、それが激しく痛かったというものである。
今や麻酔注射を打つための麻酔というものがあって、2段階の処置になっている。技術は躍進している。みんな痛かったんや。
そしてメインの麻酔注射も、普通の注射ではなく、電動で動く注入器である。これによって思う存分麻酔を打つことができる。技術は躍進している。
そんなこんなで注射を打ち、感覚が薄れて、なんだか腫れた感じになっていく。指で触ると、触る感触はあるが触られた感触がなく不思議である。歯ですら自分の意識下にある、という認識はあるのに、麻酔のかかった部分は、自分の肉体でありながら、完全に支配下から抜けている。
そんなぶよぶよした口腔をもって治療が始まる。かたどりをするために、歯を削るのだ。
何度通っても、この歯の削られるのだけは慣れない。音が悪いのかそれとも先天的な意識下によるものか、とにもかくにもいくら技術が躍進したからといって、歯を削られるのだけはおそろしい。
「痛かったら左手をあげてくださいねー」
はーい。
そして、チュイーンという音とともに削られていく歯。私の気力もごっそり削られていく。そして突然の痛み。
すぐに手をあげた。
「麻酔足しますねー」
足してください、じっくりと。麻酔された時、ちょっと心配だったのだが、それはやはり気のせいではなかったようだ。麻酔の範囲がそこはかとなく浅い感じがしたのだ。やっぱり浅かったらしい。
追加に追加を重ねて(明らかに最初の2倍ぐらい注入している感がある)、再度歯を削る。
今の歯医者に来てから、認識を改めたことがある。
それは、歯を治療することは、土木工事であるということだ。
今通ってる先生は特にこの土木工事感がえげつなくて、すごい歯をがこがこされてる感が半端なかった。人として認識されているはずだが、なんとなく二の次感があるのが、また土木な工事味を感じてしまうのだろうか。
それもそのはず、こんながこがこした内容でも、この歯医者の時間はいつも決まっている。
30分。
ここの歯医者はいつも1回30分と決まっている。
なので、先生はとてもとても集中しているはずで、歯にばかり注力しているのだ。だから、土木工事味があるのだろうか。。
さて、削った後は、ゴロゴロされる。ああ、今滑らかにされるタンクローリーが今口にいるんだなととてもよくわかる。相変わらず土木工事感はんぱない。
そして有無を言わさず、ゴム状のものをかぶせられ、口の圧迫を感じつつかたどりを行う。これが割とつらい。特に、口に吐き気をもよおす部分にあたって、はきそう。。 という苦行を通りこして待つこと数分。
かたどりを取って、仮のかぶせものを作って今日は終了。
しめてここまでだいたい30分である。
そして私の心は深く傷ついたのだった。
自分で志願したとはいえ、ひどい目にあった。自分で治療を受けておきながら、ワンチャンやネコチャンが予防接種などを受けてひどい目にあったと拗ねる気持ちがとてもよくわかった。
いずれにせよ、歯の治療はできれば回避したいものである。
ちなみに、麻酔が残ってる口でごはんを食べても、気持ちが半減するのはなぜだろうか。