works4Life

GTDメインのタスク管理と生息してますログを記載しています。

フレームーワークって何ですか?

http://sio.la.coocan.jp/index.php/2008/11/05/問題解決の方法論/

でも、ここで私が考えたかったのは、その道具で解決できないときに、どうやって自分で解決するための道具を作るのかという事。キャプテン・フューチャーの話でいうと「なきゃ作るさ、宇宙船を!」という類いのもの。

自分の道具は手になじむから本当は欲しいけれど、面倒くさがって、つい「汎用品」「コモディティ化したもの」に手を出してしまう。そこが問題なのかもしれないと最近思うようになってきた。

フレームワークを利用するのは(練習は必要だろうけど)人が敷いておいてくれたレールの上を歩くようなもので、そんなに難しい訳ではないと思う(ノウハウを覚えるまでは面倒かもしれないけど)。でも結局それは「新しい問題」を「解決{する|した}」訳ではなくて、ただ与えられたモデルにそってフレームワークという道具を適用してみただけだろう。

■骨組みってどうやったらできるもの?

新しい骨組みは、どうやってできるか、ていうのがSioさんのエントリでのメインテーマでしたが、私の個人的な結論は、必要であれば自ずと作られるもの、かということで帰着しています。私自身の枠組みを振り返ってみると、まじめに考えたことはなかったけれども、いくつかのパターンに集約して考えるようにしているなぁと思うからです。

■私の枠組み

私自身が保有しており、ちゃんと利用されていると思われる骨組みは以下の通りです。

・化学反応に見られるエネルギー曲線 ・GTDの自然に計画するためのモデル ・GTDの5つのステップ ・GTDの処理ステップのワークフロー

他にいくつか思い出すものはいくつかありますが、だいたいこの4つに集約します。その人が取り扱える骨組みというのは、ラッキーナンバーの7つより下じゃないのかなと思っていて、何か新しいものが来たとしても、今あるどれかの骨組みに適用できるか無理やり考えるようにしているなと思います。

結構無理矢理だったとしても、そこらへんは枠組み自体が拡張されて、割とアバウトに対応できるようになっています。「化学反応に見られるエネルギー曲線」は、私の持っている枠組みの中では一番拡張されたパターンで、縦軸と横軸の変数を開放すると、割といろんなものに適用することができます。私の中で一つに「化学反応に見られるエネルギー曲線」で無理矢理まとめてある内容は以下の通りです。

・標準分布 ・エントロピーサイクルhttp://pileofindexcards.org/wiki/index.php?title=PoIC_%E3%82%92%E9%80%9A%E3%81%98%E3%81%A6%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8#.E6.83.85.E5.A0.B1.E3.81.A8.E3.82.A8.E3.83.B3.E3.83.88.E3.83.AD.E3.83.94.E3.83.BC.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6 ・ロジャーズの採用者分布曲線 ・GTDの5つのステップ

これらの共通は、ある変数とある変数を縦軸と横軸に設定すると、似た放物線を描くということです。これらの項目は、その点にだけ注目して枠組みとして捕らえています。なので、上の方でわかりやすく4つにまとめていますが、実際は3つしか基本的な考え方というものを持っていないんじゃないかと思います。RISCよりもCISCの方が結局の所速くなっているわけですから、骨組みも少ない方がより鋭利に磨きがかかるのではないかと思います所存。

■骨組みは寝て待て?

とまあ、そんなわけで、フレームワークはそんなに増えるものではないし、増えるには増えるなりの理由があったということです。それは、徐々に浮き彫りになるようなもので、何かを捕らえたい時に何かと類似を思い出したりする際に用いられるものです。自分で使っている際には内在化しており、特にそれが枠組みなるものだとも認識していないでしょう。ただ、他の人に説明する際に、その枠組みがクリアに水の中から表れるんじゃないか、そう私は思っています。

カタチの合う枠組みは残っていくだろうし、合わないものは忘れ去るのみです。むしろ、未だ残りうるものこそが『枠組み』なのだ、と捕らえた方がいいかもしれません。

■人によってなじむ道具は細部まで異なる

しかし、骨組みというのは人によって異なるし、名称ですら異なるものです。例えば、日本では「段取り」という言葉をよく使うけれども、それは「設計」と同意義だったりします。しかし、人によってどのような言葉が馴染みやすいかはまた別の話です。だから、いろんな似た言葉を使った本があってもそれぞれに需要があるのだと思います。その人の環境によって、言葉と脈とがセットになって、骨組みが出来上がります。このセットはどうにも動かしがたいようです。言葉が依り代となって大きな力を形成しているような気がします。

例えば、誰かが「ストーリーがほしいんだよね」と言いました。それは、ある人がどういう風に使ってどういう結果をもたらすか、というそういう一連の流れを指し示していたりします。これを私は「流れがほしい」という言葉で言い換えて、理解し直します。けれども意図する内容は「ストーリーがほしい」のと同じです。私の世界では、ストーリーという言葉があまり存在しません。