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【昼休み日記】私がソーシャルゲームにはまらない理由

[caption id="attachment_300" align="aligncenter" width="285"] ClkerFreeVectorImages / Pixabay[/caption]

8月も最終週を迎えた。社会人になって嬉しいことー、夏休みの宿題がないことー。社会人になって悲しいことー、長期の夏休みがないことー。

学生の休みのときは私はよくゲームをやってた。そうゲーム、コンシューマゲーム。ゲームはゲームといっても種類はいろいろあって、おうちでやるファミコンスーファミやらのコンシューマと呼ばれるゲーム、そしてゲーセンでやるようなアーケードゲーム、そして最近だとスマートフォンやPCで遊べるソーシャルゲーム、後はネットつながってやるオンラインゲーム等々。

私はこのうち、コンシューマゲームが好きでよくやってたんだけど、会社に勤めるようになってからすっかりやらなくなってしまい、だからといってソーシャルゲームにも結局はハマらなかった。

昔は毎日1~2時間はやってたのに、なんでこんなに好きじゃなくなったんだろうと思ったんだけど、いろいろ考えてはみたものの、これといった自分を納得する理由が思い浮かばなかった。しかし、最近その理由を何かふとしたことで思いついたのである。

 

集中できないんである。

 

ゲームとは、集中すること

私にとっては、ゲームというと集中することができる遊びであって、コンシューマゲームならそれができた。おそらく1~2時間ほどの集中することを私は求めており、その継続時間を持続できないアーケードゲームソーシャルゲームは興味が続かなかった。

アーケードゲームもうまい人によれば、ワンコインで30分もできるかもしれないけど、私にそれができるといえばぷよぷよ(しかも最初のやつ)ぐらいが関の山だ。ソーシャルゲームはだいたい熱中する途中でライフがなくなったりして課金しないと継続できない。そこで一気に現実の世界へ引き戻されて、世の中ゼニかとささくれだってやる気がそがれて結局しないという羽目になる。

ソーシャルゲームがあまり好みでないのはもっと別の理由からだと思っていた。攻略パターンが同じ、話がそこまで入りきれない、終わりがない、課金チートというシステム、作業の割りには楽しさの見返りが少ないなどなど。

終わりがないのが個人的には衝撃的ではあった、コンシューマゲームの問題点は終わりがあることだったのに、ソーシャルゲームになって終わりがないことがこんなにも苦痛だったなんてとまざまざと感じた。終わりがないからどこまで遊びきればいいのかがわからずに、燃えどころがわからずに早々戦線離脱してしまうのだ。

でもな、集中が持続しないからとは、さすがの私も思いもよらなんだ。

ソーシャル特有の課金システムで集中がそがれる

課金の仕組みも頭の痛い問題だった。コンシューマで慣れ親しんだせいか、ゲーム途中でお金を払うというシステムについていけないし、アーケードで培ったゲーム下手はお金を吸い取られる、という印象がぬぐえずとても課金する気には起きなかった。それに一度課金したら青天井になりそうで、そこも恐ろしい印象であった。

そういったゲームをする機会にコストがかかる経済面にもうんざりしたり、ゲーム内での壁をお金が解決してくれるという、ゲームの世界でもリアルの経済面というパラメータが付与されたことにもいやだった。ゲームは、リアルの経済面からは自由だったのがよかったのに。

でも実際にこの課金システムが非常に憎憎しいと思っている理由は別のところにもあった。

 

課金システムの何がにくにくしいって、課金を行うという作業は、まったくゲームの世界から逸脱することにある。ゲームの途中でライフポイントがなくなって課金を行う、よくある話ではあるのだが、この一連の集中が殺がれて我にかえる瞬間がとてもイヤ。お金を払うことよりも、楽しい時間を邪魔された、というのが一番最初の課金システムが嫌いな理由だった。

確かにこれでお金を払う気は確かにないだろう。課金するのは数ステップで数分もかからない作業だというのに、ゲームをするのを妨げられたという一点で忌むべきものであり、興が冷める→課金は青天井、という風に感情を想起して、そして最終的に「あ、もういいや」という気持ちになってゲーム終了となる。最長で1週間、最短だと2~3時間でゲームをやめることもあった。

集中がそがれるのは課金システムだけではない

ソーシャルゲームの多くは、ゲームができる時間を制御することで、無料でゲームできるように調整している。ゲームができるようになったら思わず実行する。しかしこれはゲームがしたいからするのではなく、ゲームができる状態になって損をしたくないからゲームをする、という気持ちになってしまう。ゲームを集中すればするほどその気持ちになってしまい、ゲームに集中するどころかなんとも気分の悪い状態に陥ってしまう。

まぁ、ゲームが好きだからはじめるのが、途中から、ゲームができるのに損したくないから、という義務的な気持ちになってしまい、それが集中できない原因にもなってしまうのである。

いつゲームをするか、どれぐらいの時間ゲームを続けるかの自由を剥奪されたソーシャルゲーム

コンシューマゲームソーシャルゲームの違いとはいったいなんだろう、どうして私はソーシャルゲームにはまったく合わないのだろう、と突き詰めた結果、この2種類のゲームでは、プレイヤーがコントロールできるものが異なってて、それができないから私はダメなのだと思うにいたった。

  • いつゲームをするか
  • どれぐらいの時間ゲームを続けるか

いつゲームをするか、これはプレイヤーに決められるようで決められない。行動ポイントなどでこの時間に続けてしたいと思っても、ソーシャルゲームでは阻害される場合がある。

どれぐらいの時間ゲームを続けるか、これもまた行動ポイントなどで制御され、自分がこれぐらいで充分、と思うより短い間でしかプレイすることができない場合がある。

この二つの自由が剥奪されたことで、満足する集中ができなくなり、それで、私はソーシャルゲームをしなくなったのだ。

繰り返す言うが、自由が剥奪されたこと自体が問題なのではなく、満足する集中ができなくなったことが問題なのである。

しいていうなら、細切れのご飯を食べるか、おなかいっぱいのご飯を食べるか

人によってゲームの何が楽しいかは異なるだろうけど、まあ私がゲームの主食として享受していたものがもらえないなら、確かにハマらないのも道理である。それはしいていうなら、細切れご飯よりも、おなかいっぱいのご飯を食べるのに満足するという話である。

そんな私でも今続けて行っているソーシャルゲームはある。ソリティアオンラインで1回につき3ライフ。結局カードゲームに戻るのか。。

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